一生大森靖子

僕は後々まで残しておきたい気持ちや考えたことはブログに書くようにしていて、だからこの前のブログに書いたことも僕にとっては今でも大事な気持ちだし、なかったことにはしたくないと思っている。そして僕はまたいつまでも留めておきたい気持ちを記録しておくためにこのブログを書いている。

4月13日、14日に行われた大森靖子さんのファンクラブイベント「爆裂!大森靖子と逝くナナちゃんのお城!?猿ヶ京温泉お泊まり宴会ツアー★2日間」(以下、バスツアー)へ参加してきた。僕はバスツアーへ参加することを決めてからしばらくの間、本当に参加していいのだろうかという不安に何度も襲われて、もしかしたらバスツアー当日になったら家から一歩も出られなくなってドタキャンしてしまうのではないかとすら考えた。僕はこれまで自分が抱えている欠落のせいで僕と関わった人達を傷つけてしまった自覚があり、僕はその罪のために幸せになってはいけない人間なのだという意識があって、のこのことバスツアーに参加しようとする自分を蔑視するもう一人の自分の視線に苛まれてきた。それでも結果的にバスツアーに参加できたのは、大森さんや大森さんファン仲間のみんなのおかげだ。

昨年10月~12月に行われた大森さんのクソカワPARTYツアーも佳境に差し掛かっていた頃、僕は自分が立っている場所以外の周りの地面が全て抜け落ちて、叫んでも誰にも届かない世界に一人取り残されたような精神状態だった。だからもう飛び降りるしか選択肢がなかったのだが、今思えば自分の周りの地面を叩き壊していたのは他ならぬ自分自身だった。12月9日のクソカワPARTYツアーファイナルの翌日に、誰にも吐き出せずに自分の中に溜め込んだ感情をブログでぶちまけて、もう救われなくていいからせめてこんなに孤独で寂しかったんだよってことを知ってもらおうとしたけど、それも今思うととても自己中心的で身勝手な行いだったと思う。そのすぐ後に大森さんが書いたブログを読んで、大森さんは僕について早々に心の整理をつけて気持ちを切り替えたことを悟ると途端に寂しくなった。でも全て自業自得だし、こうやって一人になることはもう慣れっこだったし、ただ元の状態に戻っただけだと自分に言い聞かせた。何人かの大森さんファンが心配して連絡をくれて、返信するタイミングを逸してそのままになってしまっていたり、飲みに行く約束をしてそのままになってしまっている人もいるけど、わざわざ連絡してくれる人達の優しさは素直に嬉しかった。もしかすると心配してくれながらも気を使って連絡するのを控えた人もいるかもしれないから、その見えない気遣いにも感謝したい。

年末のカウントダウンライブは既にチケットを取ってしまっていて、譲れる相手もいないのでそのままにしていた。大森さんのツイッターはこっそり見ていて、ある日カウントダウンライブのために手作りの物販を準備しているとツイートしているの見た。その物販の中には僕にとって特別な品物も用意されていて、大森さんはどういうつもりなのだろうと訝しみながら、きっと大森さんからの餞別なのだろうと思った。だから直前までは物販だけでも買いに行くつもりだったが、いざ大みそか当日になって、今日ライブに行くのはクソカワPARTYツアーでの自分自身の覚悟を裏切ることになるのではないかとか、せっかくの特別なイベントで僕の姿を見た人に少なからず穏やかでない気持ちにさせてしまうのではないかなどと考えていたら、身体が動かなくなってしまって結局行くのを止めてしまった。

年が明けてからは仕事もそこそこ忙しく、慌ただしく日常を過ごしていると気も紛れた。音楽は相変わらず好きだから、これからはもっと色んなアーティストのライブに行ったり新しいアーティストも発掘したりすれば何とか楽しくやっていけそうだし、大森さんのことはそのうち気にならなくなるだろうと思っていた。

1月15日、銀杏BOYZの武道館公演「世界がひとつになりませんように」を見に行った。一昨年の武道館公演に行かなかったことを後悔していたが、今回も仕事で行けるかどうか微妙だったので事前にチケットは買っていなかった。当日になって仕事を早めに切り上げられそうだったので、直前だったがツイッターでチケットを余らせている人を見つけて、何とかチケットを確保することができた。銀杏BOYZのワンマンライブを見るのは初めてだったが、僕が聴きたかった曲はほとんど全てやってくれたし、銀杏BOYZファンが見たかったものをきちんと全うしたであろうライブだった。ライブ中にボーカルの峯田さんがMCで、高校生の時に好きだったニルヴァーナカート・コバーンが亡くなって、その一週間後に自分のおばあちゃんが亡くなった時の話をしていた。自分の部屋で横になりながらニルヴァーナを聴いていると、家に集まっていた親戚があげている線香の匂いがしてきた記憶があって、今でもニルヴァーナを聴くと線香の匂いがする、音楽が生活に張り付いている、ということを言っていた。僕はそれを聞いて大森さんがクソカワPARTYツアーの時に流星ヘブンを歌う前のMCで似たことを言っていたのを思い出した。また別のMCで峯田さんは、これまでバンドを辞めようと思ったことが2回あって、そのうちの1回がレコーディング中に「やってらんねぇ」となって物をぶちまけてスタジオを飛び出した時で、タクシーに飛び乗って夜の環七を走りながら「バンドも終わりか」と思いながら窓の外を見ていたらラジオからRCサクセションのスローバラードが流れてきて、それに救われたという話をしていた。それを聞いてまた僕は一昨年のMUTEKIツアーの時に大森さんがMCで自分の曲に救われたと話していたのを思い出した。

僕は峯田さんのMCを聞きながら、峯田さんと大森さんは似ているなとか、大森さんにもこのMCを聞いてほしいな、などと考えていた。こうして思い返すと銀杏BOYZのライブなのに大森さんのことばかり考えていたことに気がつく。後でツイッターを見たら大森さんもこの武道館のライブを見に来ていて、しかもその後に続けて道重さゆみさんのサユミンランドールも見に行っていて、さすがだと思った。大森さんはいつも好きな人に対する愛をブレずに貫いていて、羨むようなことではないけれど羨ましいと思うし、それを出来ない自分のことを省みては意気消沈する。ライブの最後の方のMCで峯田さんが話していたことがあり、正確な言い回しを思い出せないので断片だけ書き取ったメモをそのまま載せておく。

 

一人の人も不倫カップルも余命一ヶ月の人もいるかもしれない

ライブを見てくれることが幸せ

またライブ見に来てください

どうにかして生き延びてください、どんな汚い手を使ってでも

 

このMCも大森さんと相通ずるところがあると思ったが、大森さんは流星ヘブンで「君が他界したあとも私の命は続く」とか、VOIDで「もしかしたらもう二度と会うこともない」と歌っているように、大森さんは誰かと関わることについて一見諦観を抱いているようでいて、実は誰よりも切実に人との関わりにおいて希望や渇望、憧れを抱いているのだと思う。それは大森さんが実際に感じてきたことなのだろうし、僕はそれを分かっていながら大森さんに対して断絶を味あわせるようなことをしてしまったのだと思うと、今も申し訳なさが込み上げてくる。

1月26日、一年前に亡くなった友人のごっちんさんの命日に一人で墓参りに行った。ごっちんさんのご両親がわざわざ新幹線の駅まで迎えに来てくれて、お父さんが車を運転してお墓のあるお寺まで連れて行ってくれた。風が強かったがよく晴れた日で、見晴らしが良く日当たりも良い小高い場所にごっちんさんのお墓は立っていた。ついこの前までクソカワPARTYツアーを一緒に回っていた気がするから、お墓の前で手を合わせるのは不思議な感じがした。今でもたまに僕はあの時ごっちんさんのために本当に最善を尽くせたのか、もっとごっちんさんのために出来たことがあったのではないかと考えることがある。考える度に答えは出なくて、答えが出ないままだから何度も繰り返し考えてしまうけど、その度にごっちんさんのことを思い出すことができるので、最近になってこれはこれでいいのかなと思っている。お墓参りを済ませた後、ご両親が家に招いてくれて、ごっちんさんの仏壇や遺品を見せてくれた。仏壇には大森さんのグッズが所狭しと並べられていて、まるでヲタクが作る推しの祭壇のようで不謹慎だけど面白かった。最新アルバムのクソカワPARTYやナナコレシール、大森さんの最近のインタビュー記事が載った本などもあって、ちゃんと超生きてヲタ活していてさすがだと思った。仏壇に手を合わせてから、しばらくの間ご両親と話をして、お父さんの昔の話やごっちんさんの子供の頃の話を聞いて、お父さんとごっちんさんは一度こうと決めたら自分の意志を貫くところが似ているなと思った。お父さんは大森さんについても熱く語っていて、うんうん分かる分かると思いながら聞いていた反面、僕はそんな大森さんを裏切るようなことをしてしまったのを思い出しては胸が痛んだ。帰りはまた車で駅まで送ってもらい、ご両親に来年も会いに来る約束をして新幹線で東京へ戻った。その日は中野で昼間から大森さんファン主催のごっちんさん一周忌の集いが行われていて、僕は大森さんファンの人達に会うのが気まずかったので行かないつもりだったが、やっぱり顔だけ出しておこうと思い直して中野へ向かった。夕方頃に会場へ着くと想像していたより多くの人でごった返していて、ごっちんさんがいかに多くの仲間に慕われていたかが分かった。ただ僕はこうした大勢の人がいる宴会の場が苦手なのと、やっぱり大森さんファンの人達と顔を合わせるのが気まずくなってしまい、早々に会場を後にしようとしたところを知り合いに引き止められて帰るタイミングを逸していた頃に、何の前触れもなく子供を連れた大森さんが会場に姿を現した。大森さんの登場に会場は騒然となって、すぐに大森さんの周りには人だかりができていた。僕はしばらくその場でじっとしていたが、結局その空間にいるのがいたたまれずに間も無くして会場を飛び出した。一人で電車に乗って帰りながら自分は何をやっているのだろうと惨めな気持ちになりながらも、大森さんが一年前にごっちんさんのお見舞いやお通夜に来てくれたように、今日もああやって一周忌の集いに足を運んでくれたことの意味をずっと考えていた。

1月31日、新宿LOFTで大森さんと来来来チームとの2マンライブがあり、僕はごっちんさんの一周忌での出来事もあり勇気を振り絞って見に行くことにした。僕はなるべく目立たないように入り口付近からライブを眺めていた。クソカワPARTYツアーファイナル以来の大森さんのライブは貴重な来来来チームとの共演も観れてとても楽しかったが、そのライブ中に大森さんがステージからほとんど見えないであろう奥の方にいた僕を見つけて笑いかけてくれたような気がした。その時は嬉しい気持ちよりも素直に喜べない、喜んではいけないという気持ちが勝ってしまい、ライブが終わるやいなや足早に会場を立ち去ってしまったが、大森さんが投げかけてくれた一縷の光は確実に僕の心の中にある何かを響かせていて、勇気を出して見に行ってよかったと思った。

それから間も無くして今年もバスツアーが開催されることが発表され、僕はほとんど衝動的に参加することを決めた。恐る恐る昨年のバスツアーで一緒の部屋に泊まったメンバーへ声を掛けたところ、しゅんくんとおおたけおさんが快く応じてくれて、今回は参加できない人もいたので新たなメンバーとしてどうしたってさんを誘った。僕が気にし過ぎていただけなのかもしれないが、みんな僕がバスツアーに参加することを当たり前のように受け入れてくれて、変に気を使うこともなく以前と変わらずにやりとりしてくれたのが嬉しかった。

でもそれからバスツアー当日に至るまでは良いことばかりではなく、僕はバスツアー当日にいきなり大森さんと対面するのが恐かった気持ちもあって、3月12~14日にお笑い芸人のやさしいズ日本エレキテル連合、ダンサーのrikoさんとの3日連続の2マンライブ「大森靖子伝承3DAYS 2卍LIVE“自由字架”」の初日の公演を見に行った。僕はその日も目立たないように後ろの方で見ようと思っていたのだが、会場だった伝承ホールはどの席もステージからよく見える作りになっていて、居心地の悪さを感じながら後ろの方の席に座った。その日はやさしいズとの2マンライブで、先攻のやさしいズの漫才とコントはとても面白く、生で見るお笑いの魅力を知れた良い機会だった。そして後攻の大森さんのライブが始まってから、やはりステージの大森さんから自分のことがよく見えることが無性に気になってしまい、今すぐ消えてしまいたいような気持ちになっていた。ライブの途中で大森さんが客席に降りて観客一人一人と目を合わせながら歌っている場面があって、観客の中には涙を流している人もいた。その光景があまりに美しく、後ろの席から見ていた僕はそれをあの世から眺めているような感覚だった。僕は大森さんが作るこの美しい世界に触れてはいけない、僕はここにいてはいけない人間なのだという気持ちに囚われてしまい、ライブの終盤には一刻も早くライブが終わってほしいという気持ちにまでなっていた。ライブ前は1日目が良かったら2日目と3日目も見に行こうと思っていたが、わざわざライブを見てこんな気持ちになるならやめておこうと思い行くのを止めた。やっぱり僕はもう元通りになることはできなくて、いっそのこと大森さんが僕の顔も名前もすっかり忘れてしまえば、何も気にせずにまた大森さんのライブを見に行けるのだろうかなどと考えた。

バスツアーに参加することを決めてからのおよそ2ヶ月間、すっかり怯えて縮こまってしまったが何とか大森さんを信じようとする自分と、もはや自分を否定することでしか自分を保てない自分とが刻々と入れ替わりながら、バスツアーの日が永遠にやって来ないのではないかと思うほど長く苦しい日々を過ごした。

3月24日の女川復幸祭に行こうと決めたのも直前のことで、ちょうど気持ちが前向きになれていた頃だったのと、女川はアイドルグループのBiSが好きだった2013年に初めて訪れてから思い入れがある場所で、女川復幸祭が今回で最後になるということも知って、せっかくの機会だと思い遠征することにした。女川を訪れるのは1年半振りで、初めて訪れた6年前は町のいたるところにまだ東日本大震災の爪痕が生々しく残っていたが、今は見違えるほど立派な町に生まれ変わっている。前回訪れた時に見て感動した新しい女川駅の駅舎もすっかり町の顔として馴染んでいた。復幸祭には町外からも多くの人が来ている様子で、震災を知らないであろう小さな子供達もたくさん見かけて、もうそれだけの時が進んだのだと思った。僕には想像が及ばない経験をしたであろう女川の人達が今こうして笑顔で暮らしているのを見て、その逞しさに改めて尊敬の念を抱くとともに生きる気力を分けてもらうことができた。大森さんはライブ前にファンの人達と触れ合っていたようだったが、僕はまだ大森さんと対面する勇気が無かったのでステージで行われるライブを見るだけにした。大森さんはライブ中のMCで、過去は記憶を捏造して変えられるけど、未来は今を一個一個積み重ねるしかないから、未来の方が変えるのは難しい、頑張って一個一個積み重ねて未来を作っていきたいものですね、という話をしていて、震災を経験した人達へも向けた大森さんらしいMCだと思った。過去の記憶を変えることもなかなか難しいことだと思うし、僕なんかは良いことも悪いことも忘れられずに引きずってしまうタイプだけど、あえてそう言い切る大森さんの言葉に励まされた人もいたかもしれない。また、未来を変えるのは難しいというのは言い換えれば未来は変えられる可能性があるということであり、女川の人達は過去における未来である今を復興という確かな形で積み重ねてきたはずだから、大森さんの言葉に共感した人も多かったのではないかと思う。

www.youtube.com

ライブが終わってからは容赦なく体温を奪う寒風に耐え切れず、すぐにちゃんあつさんとおおたけおさんと宮城の大森さんファンの人と一緒に女川を離れて仙台まで電車で戻った。宮城の大森さんファンの人におすすめの牛タンのお店を教えてもらい、ちゃんあつさんとおおたけおさんと一緒に晩御飯がてら食べに行った。牛タンを食べながらおおたけおさんとバスツアーの話をしている中で、おおたけおさんが大森さんから僕にバスツアーへ来てほしいというDMを受け取っていたことをこっそり教えてくれた。

バスツアーまで一週間を切った頃、夜遅くに仕事から帰ってくるとポストに大森さんのファンクラブから封筒が届いていた。早速封筒を開けてみるとバスツアーのしおりなどの書類一式が入っていた。しおりの表紙は大森さんの手描きのイラストで、内側のページにもいたるところに大森さんの直筆のコメントが書き込んであった。相変わらず大森さんはこういうしおり一つにも手を抜かない人なのだと再認識して、きっとバスツアーの内容も時間と手間を惜しまずに考えてくれているのだろうと思った。何より大森さん自身がとてもバスツアーを楽しみにしているのがしおりを読んで伝わってきて、僕もそれまでずっともやもやしていた気持ちが少し晴れて次第にバスツアーが楽しみになっていった。封筒にはバス車内でのトーク企画用のアンケートも入っていて、その中に「せいこちゃんに伝えたいこと」という項目があった。僕はその項目の回答欄に「ごめんなさい。そしてありがとうございます。」とだけ書いて、あとはバスツアー当日に伝えようと思った。

そしていよいよバスツアー当日、事前準備で必要だったプリクラをまだ撮れていなかったので、それを済ませてから集合場所へ向かったため到着がギリギリになってしまった。しゅんくんとどうしたってさんにお願いして買っておいてもらったパンを食べながら慌ただしくバスツアーがスタートした。バスツアーの1日目の夜に大森さんがホテルの各部屋を訪問するという企画があり、僕はその時に直接謝罪しようと思っていて、少なくともそれまでは大人しくしているつもりだった。バスがホテルへ向けて出発する前に、大森さんによるバスツアー開始の挨拶とオリジナルのティッシュとお菓子の配布が行われた。大森さんが前の席から順番にお菓子を配り始めて、僕は大森さんの目を見れないまま手を差し出してお菓子を受け取った時に、大森さんが急に「冷遇したの分かりますか?」と一部の人にしか分からないネタで僕をイジってきて、僕は「気付いてました」と答えたら大森さんは声を出して笑ってくれた。大森さんが大森さんなりのやり方で僕に気を遣ってくれたことが分かって、僕はまだ恐る恐るだが大森さんを信じてこのバスツアーを楽しもうと思った。行きのバスの車内では大森さんのカメラマンである二宮ユーキさん編集の秘蔵映像を流していて、僕が密かにリクエストしていた2つの映像を両方とも採用してくれていて嬉しかった。ホテル到着後は宴会の前に物販が行われ、大森さんから買ったものを直接手渡してもらうことができた。僕はこの時も大森さんを前にするとやはり萎縮してしまい、うまく話すことができなかった。バスツアーのメインイベントの一つである宴会ではプリクラ交換会や大森さんのカラオケライブなどが行われた。大森さんはカラオケライブで宴会会場を縦横無尽に動き回りながら歌っていて、ここ最近どんどん体のキレが増しているのと同時に激しい動きをしながら歌を歌うこともできるようになっているので、歌手として成熟しながら若返っているような感じだ。ライブも後半に差し掛かった頃、急にとある曲のイントロが流れて僕は戦慄を覚えた。僕はこの日ずっと借りてきた猫のような精神状態だったので、うまく切り替えることができずに席に座ったまま固まっていたところ、ふと目をやると近くに大森さんのマネージャーの山本さんと二宮さんが並んで立っていて、優しく微笑みながら僕を見てステージへ行くよう促してくれた。二人もきっと僕がしたことに対して良い気持ちはしなかったはずなのに、こうやって受け入れてくれる二人の懐の深さと思いやりにも背中を押されて、何とか席を立ってステージへ行くことができた。ただ案の定萎縮しっ放しで全く本領を発揮できず、せっかく貴重な時間を割いてくれたのに良いところを見せられなかったので、いつか必ずリベンジしたいと思う。

宴会が終わった後はバスツアー1日目の最後のイベントであるお部屋訪問に向けて、用意してきたネタの最後の準備に取り掛かった。僕たちの部屋では替え歌を披露するというネタを企画していて、バスツアー参加を決めた当初は僕が考えた構成と内容でそのまま本番に臨むつもりだったが、しゅんくんがダンスを踊れるということでわざわざ練習用の動画を撮って送ってくれたり、どうしたってさんも演出のアイデアを出してくれたり熱心に練習してきてくれたりして、おおたけおさんに至っては2曲分の映像を2か月も掛けて制作してくれた。みんなが積極的に関わろうとしてくれる気持ちだけでも嬉しかったのに、実際にはそれが自分たちとしても思いもよらないレベルの濃い内容のネタに仕上がったので、このメンバーに声を掛けてよかったと思った。特におおたけおさんにはこのネタに関してだけでなく色々と恩義があるので、言葉では言い表せないくらい感謝している。直前まで何度も繰り返し練習に励んだおかげで本番は無事にやり切ることができ、狙いどおり大森さんに「あと3回くらい見ないと把握できない」と言わしめることができた。ネタの替え歌の歌詞にはきちんとした思いを込めた部分もあるので、それも大森さんに伝わっていたら嬉しい。お部屋訪問については事前の告知で、面白かった部屋には翌日の朝に大森さんからモーニングコールをしてもらえることになっていて、結果として僕たちの部屋はモーニングコールをしてもらえる4部屋のうちの1部屋に選んでもらうことができた。

翌日の朝、予告どおり大森さんからモーニングコールが掛かってきて、一人ずつ順番に大森さんと話をした。僕がこの時に大森さんに伝えようと考えていたことは一つだけで、というより僕が今回のバスツアーに参加しようと思ったのも、お部屋訪問のネタを一生懸命考えたのも、全てその一つの想いを伝えるためだった。おおたけおさんから電話を替わってもらった僕に対して大森さんは「おはよ」と言ってくれて、僕は「何割かは温情で賞を頂いたような気がしますが」とわざと卑下するようなことを言って気を紛らせてから「僕がいかに大森さんのことを好きかが伝わったら何よりです」と一番言いたかったことを伝えた。僕は「ありがとうございました」と言ってしゅんくんに電話を替わろうとしたところで、大森さんが電話の向こうで泣いているのに気が付いた。僕は戸惑いつつも、その瞬間に大森さんがこの数ヶ月間どういう気持ちをしていたのか、僕のことをどう思ってくれていたのかを悟った。最後に電話を替わったしゅんくんは上手にフォローしてくれていて、どうしたってさんとおおたけおさんはなぜかもう一度電話を替わって大森さんと長々と話していて、とても面白かったし本当に最高のメンバーだと思った。その後みんなで朝食のバイキングを食べに行って、ふとスマホツイッターを見るとDMが来ていたので開くと大森さんからだった。そこには一言「私も大好きだよ」と書いてあった。僕はしばらく呆然としてしまい、返信しようかとも考えたが何も言葉が見つからなかった。

バスツアー2日目は大森さんと話す機会が何度かあったが、今朝起こった出来事の大きさをずっと飲み込めずにいて終始うまく会話することができなかった。昼食後のチェキの時にも何も言えない僕に対して大森さんは「じゃあ送って?送らなくてもいいよ笑」と気を遣ってくれた。結局その日はバスツアーが終わった後もDMを返すことができず、大森さんがコメント欄を開放したブログにコメントを送ることもできなかった。それからこの一週間、仕事の合間を縫ってこの4か月間のことを振り返って、ようやく今このブログを書いている。僕はクソカワPARTYツアーのファイナル以降、僕が大森さんを好きだという気持ちが伝わっていないであろうことが心残りで、ずっと地縛霊のようにこの世をさまよっている気分だった。だからこのバスツアーで僕が大森さんを好きだという気持ちを伝えることができたら、大森さんが「ちょうどいいところでやめられる人がハッピーエンドよ」と歌っていたように、それで終止符を打つことも考えていた。大森さんはブログで「いつか」と書いていたけど、僕は大森さんにそれが何年も先になるような時間軸で生きてほしくなかったから、僕のことはさっさとケリをつけて先に行ってほしいという思いもあった。あとはこのバスツアーに参加しただけで4か月前のことをチャラにできるとは思えなかったし、雨降って地固まるみたいなことにもしたくなかったし、そうしたら4か月前の自分に大森さんの気持ちを試すようなことをさせたことになるような気がするからでもあった。でも大森さんは僕の気持ちを涙を流して受け止めてくれて、さらにそれを大きな愛で返してくれて、僕があれこれ気にしていた体裁なんてどうでもいいよって言って抱きしめてくれた気がした。大森さんがきちんと僕の言葉に傷ついていたことも、それでも僕のことを笑わないでいてくれたことも分かって、そんな大森さんのことをもう裏切ったり傷つけたりしたくないと思ってしまったし、他界なんてできるはずないと思ってしまった。大森さんには僕のことを簡単に許さないでほしいという気持ちもあったけど、それも大森さんが決めることだし、何もかも独りよがりな考えだと気付いた。こうやって振り返ると僕は自分自身の妄想で作り上げた地獄に勝手に迷い込んで苦しみもがいていただけで、その間もずっと大森さんはすぐ近くで待っていてくれていたのだろう。僕が自分の目を自分の手で潰して彷徨っていた暗闇の中でも、大森さんが光となって僕を導いてくれたから、途中で何度も転んだりぶつかったりしてしまっても何とか元の場所に戻ってくることができた。おかげですっかり傷だらけになってしまって、回復するには少し時間がかかるかもしれないし一生消えない傷跡も残るかもしれないけど、この光を信じてついていこうと思えたのはこれまでも大森さんが僕にとっての光だったからだ。人間すぐには変われないから、まだ自分の中に自分のことを許せなかったり自分のことを嫌いだったりするもう一人の自分がいるし、またいつか拗れたり病んだりして大森さんを傷つけてしまう不安もあるけど、ここ数ヶ月かけて考えたのは僕はまず僕のやるべきことをやって人から必要とされる存在になろうということで、そうやって変わろうとする努力はしているから、前よりはもう少しだけうまくやれるはずだと思っている。1週間で書いたこのブログだけでは大森さんに対する気持ちは伝えきれないし、1年、10年、もしかすると一生かかるかもしれないけど、もしかするとこれが一生大森靖子ということなのかもしれない。

f:id:nagai0128:20190421173609j:plain

あれから何歩も進んだけど何歩も戻って、3年間かけてやっと一歩前進した感じだ。でも今の僕はこれまでで一番大森さんのことを好きだと思う。だけど大森さんにはこれからもっと最高を更新してほしいし、この先も僕の光であり続けてほしいから、大森さんがまた美しい音楽を生み出す原動力に少しでもなれるように、これからも応援し続けていきたいと思う。

 

 

 

あーバスツアー行ってよかった!

 

親愛なる大森靖子さんへ

f:id:nagai0128:20181208210544j:plain

3ヶ月に渡るクソカワPARTYツアーお疲れ様でした。今回のツアーでのライブは、僕が今まで見てきた大森さんのバンド形態のライブの中で間違いなく最高到達点だったと思います。ツアーが始まる前にリキッドルームで行われた生誕祭でのライブも昨年の生誕祭に負けず劣らず多幸感に溢れた素晴らしいもので、間もなく始まるクソカワPARTYツアーが俄然楽しみになったのですが、ツアー初日の高松公演で見たライブはそんな期待をも上回り衝撃的ですらありました。ライブ後にたまたま大森さんと会って感想を聞かれた時に開口一番「すごかった」としか言えないほどでした。新曲が多く盛り込まれたことによる新鮮さもあったと思いますが、この前の生誕祭から僅かの間に何があったのだろうと思うくらい見違えるほど進化したライブになっていたからです。ツアーを通じてセットリストは多少曲順の変更や曲の追加があったものの基本的に共通で、あとは大森さんがその日のノリや思いつきでセットリストに無い曲をやることもあり、それに巡り会えるのはツアーを追いかける醍醐味でもありました。共通のセットリストの流れについて少しだけ書くと、序盤は最新アルバムのクソカワPARTYに収録されている新曲(初日の高松公演と2日目の岡山公演のみ“REALITY MAGIC”→“GIRL’S GIRL”、3日目の広島公演からは“GIRL’S GIRL”)から始まり、観客に“進化する豚”の歌詞を歌わせる所謂ピントカバージョンの“Over The Party”、5日目の横浜公演から追加された“TOKYO BLACK HOLE”、大森さんの「クソカワのステージに上がってこい!」の煽りで始まる“ドグマ・マグマ”、大森さんの可愛らしい振付が加わってキュートさが増した“イミテーション・ガール”、大森さんが観客の方へ乗り出してきて一気に会場の一体感が高まる“非国民的ヒーロー”と、大森さんの中でもアッパーな曲を中心にしつつ、おっと思わせる新旧織り交ぜた選曲で冒頭から引き込まれる展開でした。そこから“7:77”、“ラストダンス”、“アメーバの恋”とクソカワPARTYからの新曲が続けて披露され、“7:77”は今回のツアーでお目見えしたゆるナナちゃんもステージに登場して一緒に踊るという視覚的に楽しい演出もありましたが、僕は個人的に特別な思い入れが強過ぎて何回見ても現実味が湧かず、ずっと夢を見ているようでした。“ラストダンス”は今回のツアーで聴いて一気に好きになった曲で、特に終盤で大森さんとギターのあーちゃんがお互い目を合わせずに、それでも呼応しながら交互に訴えかけるように歌う場面は、ヒリヒリとした鋭利な感情が演奏と共に段々と昂ぶっていくのが気持ち良く、今回のツアーの中でもお気に入りのシーンの一つでした。“アメーバの恋”はサビの最後を大森さんが全身を使って歌い上げる様が演歌のようでもあり、今回のツアーで聴き続けてすっかりクセになってしまいました。そうして全く中だるみを感じさせないままライブは後半に入り、“わたしみ”、“パーティードレス”、“マジックミラー”と続きますが、個人的にはここが最もドラマチックで、見る度に大森さんに対する様々な思いが胸に去来しました。それまでの激しいバンド演奏から一転して“わたしみ”はsugarbeansさんのピアノ伴奏のみ、“パーティードレス”は大森さんのギター弾語りだったことも、大森さんの孤独と陰をより一層際立たせて効果的だったと思いますが、特に“パーティードレス”では僕がまだ大森さんを知らなかった頃の、僕が知らないはずの大森さんの影すら感じさせました。大森さんはきっと僕の想像が及ばない経験や思いを繰り返しながら、自分の音楽を武器にここまで闘ってきたのだろうと思うと、大森さんのことをとても愛おしく感じました。そして大森さんがそんな私だからこそ歌うのだと言わんばかりにギターをかき鳴らして歌い始める“マジックミラー”は、再びバンドの演奏が加わってやがて圧巻の総力戦へと雪崩れ込み、大森さんとバンドが一体となって放つ音楽がまるで鏡に乱反射して世界を光で包み込んでしまうように感じるほど壮大なエネルギーに満ちていました。大森さんが自分の音楽を信じて戦って来た結果として今ではこんなにも頼もしい仲間を得ていることや、大森さんが“マジックミラー”に込めた思いが今でも全くブレておらず、ステージの上で前を見て歌う大森さんの眼差しには一点の曇りもないことにも感動して、何度見ても胸が熱くなるのを抑えられませんでした。それから間を置かずに再び大森さんがギターでイントロを弾いて始まる“VOID”は、今回のツアーで初めて披露されたバンドアレンジが実に素晴らしく、こちらも何度聴いても“マジックミラー”とはまた違った胸の高鳴りを止めることができませんでした。大森さんが峯田さんを意識して作っただけあってライブ本編では一番ストレートに会場のボルテージが上がり、横浜公演ではあまりの盛り上がりに大森さんがアドリブでもう一度演奏し始めて、それにピエール中野さんも乗っかってアドリブで高速テンポにしたのが見事にハマり、それがツアーの後半では通常のセットリストに組み込まれたのが、ツアーならではの出来事で面白いと思いました。そして大森さんが毎回MCで大森さんの深い部分から取り出した言葉を投げかけてから歌っていた“流星ヘブン”は、今年初めに亡くなった彼のことを想いながら聴いていました。この曲を聴くと、僕が初めて彼から病気のことを聞いたMUTEKIツアーの仙台公演の帰り道で、僕が「流星ヘブンの“君が他界したあとも 私の命は続く”の歌詞って私信じゃないですか?」とブラックジョークも込めて聞いたら、彼が少し考えてから「大森さんへ伝えたタイミングからするとあり得るけど、どうですかねぇ」といつもの飄々とした感じで答えていたことを思い出すからです。大森さんが彼と撮ったチェキと一緒に今回のツアーを回っていると知った時は素直に嬉しかったし、MUTEKIツアーで果たせなかった彼との全通を今回のツアーで叶えてくれたことに感謝しています。ライブ本編の最後はクソカワPARTYの最重要曲といえる“きもいかわ”と“死神”で、大森さんはこの曲を通して僕を僕自身と向き合わせてくれて、自分が何者なのかを分からせてくれました。“死神”の怒涛のクライマックスで本編は終了し、アンコールの“絶対彼女”では打って変わって観客も巻き込んでコールアンドレスポンスしたりジャンプしたりライザップしたりと、これまでの緊張が一気に解れる和気藹々とした雰囲気で、ラストの“ミッドナイト清純異性交遊”は大森さんも観客もパーティーが終わる寂しさを愛に変えてぶつけ合うように、どの公演でもグチャグチャになって盛り上がっていました。大森さんがその日その場にいる観客を一人残らず肯定してやろうと全員と目を合わせる勢いで全方位を凝視する気迫は、これまでに見たことがないものでした。それはまた大森さんの新たな進化の可能性を感じさせるものでもありました。さらにダブルアンコールで大森さんだけ再びステージに登場して歌う“REALITY MAGIC”は、初日の高松公演と2日目の岡山公演では一曲目だったのを、3日目の広島公演から一気に最後に持って来たことに驚きましたが、ファイナルの東京公演では私。さんとZOCのメンバーでもある藍染カレンさんがダンサーとして登場するサプライズもあり、大森さんの最後まで徹底的にやり尽くして楽しませ尽くそうとする姿勢に改めて感服しました。まだまだ公演毎に印象的だったシーンやMCについても書きたいところですが、今回は他に書きたいことがあるのでこの辺りにしておきます。これから書くこととは関係なく、クソカワPARTYツアーを通じて大森さんの音楽は多くの人を救う力を持っていると改めて思ったし、もっと大森さんの音楽が大森さんの音楽によって救われるべき人達へ届いてほしいと思います。それが今までもこれからも変わらない僕の希望です。

話は少し変わって、ツアーも折り返しに差し掛かろうという6公演目の仙台公演で、大森さんがMCで最近あったとある出来事について話し始め、その内容が解禁前の情報に関するものだったためマネージャーが制止したにも関わらず、大森さんが話すのを止めずに少し騒ついた雰囲気になるということがありました。これまでも大森さんがライブ中に愚痴や不満をこぼしたり少し荒れたりするのは珍しいことではなかったし、僕も十分慣れていたはずでしたが、今回のツアーではそれまで(少なくともステージ上では)大森さんがそういったモードに入ることもなく、むしろ今までで一番安定しているように感じていたので安心していた分、僕は不意を突かれて少しショックを受けてしまいました。以前のブログにも書きましたが、僕が思うファンのあり方は、その人が頑張ろうと思える原動力になれるように応援することで、今回のツアーでもそうありたいと思って僕なりの方法で応援し、少しは力になれているかもしれないという実感もありました。でも仙台公演での大森さんを見て、きっと大森さんのこういうところは一生変わらないし、僕がいくら応援しても大森さんを守ることはできないし助けることもできないから、僕には大森さんを救うことはできないのだという無力感を覚えました。その翌日の盛岡公演で大森さんは何事もなかったかのようにライブをしていましたが、僕は前日の出来事が頭から離れずに大森さんのことを勝手に心配してしまい、その日のライブを心から楽しむことができませんでした。ただ皮肉にもその次の金沢公演は、大森さんにとっては不本意なライブだったかもしれませんが、僕にとっては言葉で表すのが惜しいくらい楽しいライブでした。大森さんは声が万全の状態ではなく、それが大森さんの人としての弱さを感じさせた分、それを懸命に乗り越えようとする姿にとても感動したし、大森さんがMCで目を潤ませながら話していたことも、アンコールのミッドナイトで僕の手を握ってくれた時の大森さんの手の体温も忘れられません。個人的には今回のツアーの中でも特に印象深いライブになり、少しは大森さんを救ってあげることができたのかもしれないとも思いましたが、きっと神様が情けで最後にくれた思い出だったのだろうと思います。今年1月のMUTEKIツアーの名古屋公演の終盤、大森さんは“PINK”の途中で演奏を止めて10分近く心情を吐露していて、その中で大森さんは友達が一人もいないと言っていました。僕も友達と呼べる存在が一人もおらず、その時に大森さんは僕と一緒なのだなと思うとともに、もしかしたら似た者同士の僕は大森さんの友達か、友達でなくてもそれに限りなく近い存在になってあげられるかもしれないと本気で思いました。普通ファンがアーティストを救うとか、アーティストの友達になってあげたいなどと思うのはおこがましいことこの上ないですが、そう思えたのは大森さんだからこそでした。あの時期に僕が色々と頑張ったのは第一には彼のためではあったけど、大森さんのためでもあったし、延いては自分のためでもありました。ただ今思えばそれはやはり僕の傲慢だったし、思い上がりだったと思います。それから大森さんのために尽くそうとしてきて、これまでも一喜一憂を繰り返してきましたが、今回のツアーが進むにつれて日本でこれだけのライブをできるのは大森さんしかいないという確信を深めていく一方で、僕の中の大事にしていた何かが空気を吐き出す風船のように萎んでいくのを感じました。9月のツアー開始前のタイミングで大森さんが新たにアイドルグループZOCを始動し、大森さんの生誕祭でお披露目されました。ところが間もなくしてメンバーのFちゃんが脱退することになり、大森さんはそのことについてブログに書いたり実験室で話したりしていました。世の中には根本的な問題を抱えた関わってはいけない人間が一定数いて、それは遠目から見て明らかな場合と近づいて初めて分かる場合があり、今回はその後者のケースに遭遇してしまったということだと思います。それは様々な力を持った大森さんをもってしてもどうすることもできないし、大森さん以外の誰にもどうすることもできなかっただろうし、残酷かもしれないけどしょうがなかったのだろうと思います。最初は他人事のようにそんなことを考えていましたが、しばらくしてふと気付いたのは、僕もそっち側の人間だということでした。然るべきタイミングに然るべき人から然るべき愛を受けられなかった人間は、その後において、最悪の場合は死ぬまで、真に誰かを愛したり誰かから愛されることができない人生を送ることになります。それは病気や障害のように名前が付いたものではなく、傍目には分からない呪いのようなものです。僕はある時から自分がそういった呪いにかかった人間なのではないかと薄々感じていましたが、これまでそのことを見て見ぬふりをしてきちんと向き合ってきませんでした。それを初めて向き合わせてくれたのが大森さんの音楽でした。大森さんは昨年の半ば頃から、“draw (A) drow”、“わたしみ”、“流星ヘブン”、“死神”、“きもいかわ”といった自分自身と向き合った曲を作るようになりました。それに伴い大森さんはライブでの表現においても今まで以上に自分自身の感情をさらけ出すようになったと感じます。クソカワPARTYツアーでもセットリストの後半にこれらの曲が多く組み込まれており、今の大森さんにとってこれらの曲が重要な位置付けにあることが分かります。ツアーの序盤はライブ全体のあまりのスケールの大きさに圧倒されて気が付いていませんでしたが、ツアーが進むに従って次第に一曲一曲に意識を向けられるようになった時に、大森さんがそういった曲で自分をさらけ出せばさらけ出すほど、僕はそんな大森さんに応えられない自分に気が付きました。今回のツアーで“わたしみ”は、ライブ後半に向けて観客にドレスコードである“自分”を開かせる装置の役割を果たしていたと思っていますが、僕はこれまでも“わたしみ”で自分をさらけ出して歌う大森さんに対してうまく自分さらけ出すことができず、ずっと戸惑いを感じていました。今回のツアーでも相変わらず大森さんへ差し出す“自分”を見つけることができず、歯がゆい思いをしていました。その答えに初めて辿り着かせてくれたのが“きもいかわ”と“死神”でした。その答えとは、僕は自分をうまくさらけ出せないのではなく、さらけ出す自分を見つけられないのでもなく、そもそも僕の中には“自分”が存在しなかったということでした。お互いをさらけ出すということは愛し愛されることと似ていると思います。僕はある一定の時期までに愛し愛される経験をできなかったが故に愛し愛される方法を知らず、大森さんのとてつもなく大きな愛を目の前にすると、どうしていいか分からなくなってしまいます。大森さんが「愛し合おうぜ」と手を差し伸べてくれても、その手を握り返すことができません。それでも何度か手を伸ばそうと試みましたが、どうやっても腕を動かすことができませんでした。神経が麻痺しているというより、神経が既に死んでいるか、そもそも初めから神経なんて通っていなかったのだと思います。そのことに僕は絶望して、かといって満たされているふりはしたくないし、もしそんなことをしてもきっと大森さんには見抜かれてしまうので、ツアーの終盤は大森さんと向き合おうとすることやペンライトを灯すことが怖くなってしまいました。先ほど大森さんと僕は友達がいないという点で一緒だと書きましたが、「家族」や「友達」や「恋人」がいるかどうかということよりも「愛し愛されている」かどうかが大事で、大森さんにはそんな「愛し愛されている」関係がたくさんあるのを今までも今回のツアーでも見てきました。以前大森さんのラジオへの投稿で、大森さんの好きなところは自分と似ているところや共感できるところがたくさんあるところだという内容を送ったことがありますが、今になって大森さんと僕は愛し愛されることができる人間か否かという点で決定的に違うのだと思いました。自分が愛し愛されることができない人間だと分かった今、基本的に他人に興味を抱けないことも、すぐに相手に物足りなさを感じて飽きてしまうことも、自覚があるなしに関わらず人を平気で傷つけてしまうことも、人間関係をうまく築いたり続けたりできないことも、全て合点がいきます。大森さんがFちゃんについて書いたブログを改めて読むと、正に自分のことを言われているように感じます。Fちゃんが大森さんからのホールケーキを受け止めるための器を持っていなかったために、ケーキを抱えきれずに地面にベシャっと落としてしまうのだとしたら、僕はケーキを受け止めることはできるし、これまでクリームやスポンジは美味しく食べていたけれど、最後に食べたイチゴの味だけ感じることができなかったということです。その味覚障害は痛みや目立った不自由がある訳でもなく、今まではちょっとした違和感としてやり過ごしていましたが、今回のツアーを通じて大森さんの音楽に導いてもらったお陰でようやく、ここまで自分に欠けていたものをクリアに捉えることができました。だからこそ僕は大森さんを救うことはできないし、また大森さんも僕を救うことはできないのだという諦めも、これで終わりにしようという覚悟も潔くできます。大森さんのことを無自覚に苦しめたり傷付けたりする前に自分の危うさに気付くことができてよかったと思います。そういう意味では、音楽で僕を自分自身と向き合わせてくれて、自分が何者かを分からせてくれた大森さんは僕を救ってくれたといえます。でもやっぱり“きもいかわ”の“きみはきみというだけで愛されるべきからだなのだから”という歌詞をもっと素直に受け入れられる自分でありたかったし、大森さんが“ぼくはぼくを守るもの”という歌詞を変えて歌っていた“ぼくはきみを守るから”という言葉にもっと自分を委ねられる自分でありたかったです。実は今回のツアーが始まる前から、僕の中には漠然と僕は大森さんと距離を置いた方がいいのではないかという意識が芽生えていました。僕なりに色々と試行錯誤して、しばらく大森さんのライブを離れたところから見るようにした時期もありましたが、今回のツアーでは勇気を振り絞ってなるべく大森さんからも自分がよく見える前の方でライブを見るようにしていました。それは今回のツアーで大森さんのライブパフォーマンスの進化を目の当たりにして、それでもなお大森さんからは人間の感情を究極まで拡張して表現するためには自分自身がもっと人間であることを超越しなければならないとでも言いたげな焦りやもどかしさのようなものを感じて、ツアーの途中で自分の不完全さの正体に気付き始めてからも、今の大森さんなら投げつける右腕で僕の僕を探し出してくれるかもしれないという可能性を見出したからです。もう一つの理由は、もし今日が最後のライブになっても後悔しないようにしたいと思っていたからでもあります。これまで僕が現場に行き続けていたのも同じ理由からでしたが、今回のツアーで不思議とその思いが強かったのは、なんとなく終わりを意識していたからかもしれません。

大森さん現場には恩や借りがある人ばかりで、僕は僕のために何かしてくれた人へはしてくれた以上のものを返すという信念があり、出来るだけお返ししようと間際まで周りも巻き込んでバタバタと騒がしくしてしまいましたが、大森さんをはじめとして返し切れないままになってしまいました。だからせめてその恩や借りをいつまでも忘れないでいようと思います。僕が大森さん現場に行き始めて、まだ実験室に行ったこともなく、大森さんがまだ僕の顔も名前も認知していなかった頃から、僕は大森さんの音楽が好きだったのはもちろん、大森さんの一つ一つの物事に真摯に向き合う姿勢を見て自分も頑張ろうと勇気をもらっていました。僕は2015年の正月に大森さんへ送った年賀状に「僕は僕の仕事を頑張ります」と書きました。それは前年に大森さんがNHKMUSIC JAPANで卒業を間近に控えた道重さんと共演した時に、大森さんが道重さんに対して「私は私の仕事を頑張ります」と言っていたのにちなんだものでした。それから半年近く経って年賀状を出したこともすっかり忘れていた頃、ある日ポストを開けるとポツンと大森さんからの年賀状の返事が届いていました。このために作ったであろう大森さんの写真入りの葉書には、サインと共に「いつもありがとうございます。お互いまだまだがんばりましょー!」というメッセージが添えられていました。まだその頃には大森さんと数えるほどしか話したことがなかった僕にとっては返事がもらえただけでも十分嬉しかったのですが、その言葉が「私も頑張ります!」でも「頑張ってください!」でもなく「お互いまだまだがんばりましょー!」だったことに、私も頑張るからあなたにも頑張ってほしいし、あなたが頑張るために私も頑張りたいという意味が込められているように感じ、ファンを一人の対等な人間として捉えてくれるだけでなく、双方向の関係として考えてくれる懐の深さに感動して、僕はこれまで何度もこの言葉に励まされてきました。この年賀状の返事は今でも僕の部屋の“神棚”に大事に飾ってあります。ふとこのことを思い出したのは、あの頃から大森さんに抱いていた憧れと敬意は僕にとって本物であり尊いものだったので、それは大森さんとの距離に関係なく持ち続けられるものだと思ったからです。音楽なんてどうせ趣味なんだからもっと気楽に考えればいいのにと自分でも思いますが、どうしても僕は100か0でないと許せないみたいです。何かと卒なくこなせる方なのに、こういうところも器用に立ち回れたらもっと人生楽勝だったのだろうと思います。でもこの人生でなかったら大森さんに出会ってすらいなかったと思うので、そう考えると自分の人生はこれでよかったのだと前向きになれます。僕が大森さんの歌手としての才能と人としての優しさと誠実さを尊敬していることに変わりはないし、これまでその気持ちを天邪鬼な僕なりに色々な形で表現してきましたが、最後はきちんと自分の言葉で伝えるのがせめてもの誠意だと思ってこの文章を書きました。伝わっても伝わらなくても、何を思われても何も思われなくても構いません。これがクソカワPARTYツアーで僕が見つけた“自分”です。これは遺書でも辞世の句でもないし、これからも当たり前ではないけれど当たり前のように僕の人生は続いていきます。僕は僕の呪いとうまく折り合いをつけながら、僕のやるべきことをやって僕なりの幸せを見つけていきたいと思います。そして僕はこれからも大森さんの音楽が好きで聴き続けるし、大森さんがMUTEKIツアーの福岡公演の時に言っていたように音楽はゼロ距離なので、この先も音楽で励ましたり支えてくれたりしたら嬉しいです。僕も大森さんの活動を陰ながら応援し続けていきます。今まで僕には勿体ない程の十分過ぎる愛を与えて下さりありがとうございました。

youtu.be

youtu.be


超歌手 大森靖子「クソカワPARTY」 TOUR 全セットリスト

2018/10/04 香川・高松DIME

2018/10/06 岡山・IMAGE(同セットリスト)

REALITY MAGIC

GIRL'S GIRL

Over The Party

ドグマ・マグマ

イミテーションガール

非国民的ヒーロー

7:77

ラストダンス

アメーバの恋

わたしみ

パーティードレス(ギター弾語り)

マジックミラー

VOID

流星ヘブン

きもいかわ 

死神

 

アンコール

絶対彼女 

ミッドナイト清純異性交遊

 

2018/10/07 広島・セカンドクラッチ

2018/10/14 福岡・BEAT STATION(同セットリスト)

GIRL'S GIRL

Over The Party

ドグマ・マグマ

イミテーションガール

非国民的ヒーロー

7:77

ラストダンス

アメーバの恋

わたしみ

パーティードレス(ギター弾語り)

マジックミラー

VOID

流星ヘブン

きもいかわ 

死神

 

アンコール

絶対彼女

ミッドナイト清純異性交遊

 

ダブルアンコール

REALITY MAGIC

 

2018/10/20 神奈川・F.A.D YOKOHAMA

GIRL'S GIRL

Over The Party

TOKYO BLACK HOLE

ドグマ・マグマ

イミテーションガール

非国民的ヒーロー

7:77

ラストダンス

アメーバの恋

わたしみ

パーティードレス(ギター弾語り)

マジックミラー

VOID

VOID (fast)

流星ヘブン

きもいかわ 

死神

 

アンコール

絶対彼女

ミッドナイト清純異性交遊

 

ダブルアンコール

REALITY MAGIC

 

2018/10/26 宮城・仙台darwin

GIRL'S GIRL

Over The Party

TOKYO BLACK HOLE

ドグマ・マグマ

イミテーションガール

非国民的ヒーロー

7:77

絶対彼女

ラストダンス

アメーバの恋

わたしみ

パーティードレス(ギター弾語り)

マジックミラー

VOID

流星ヘブン

きもいかわ 

死神

 

アンコール

アナログシンコペーション(ギター弾語り)

ミッドナイト清純異性交遊

 

ダブルアンコール

REALITY MAGIC

 

2018/10/27 岩手・the five morioka

GIRL'S GIRL

Over The Party

TOKYO BLACK HOLE

ドグマ・マグマ

イミテーションガール

非国民的ヒーロー

7:77

ラストダンス

アメーバの恋

わたしみ

パーティードレス(ギター弾語り)

マジックミラー

VOID

VOID (fast)

きゅるきゅる

流星ヘブン

きもいかわ 

死神

 

アンコール

絶対彼女

ミッドナイト清純異性交遊

 

ダブルアンコール

REALITY MAGIC

 

2018/11/07 石川・金沢AZ

2018/11/09 愛知・名古屋CLUB QUATTRO(同セットリスト)

GIRL'S GIRL

Over The Party

TOKYO BLACK HOLE

ドグマ・マグマ

イミテーションガール

非国民的ヒーロー

7:77

ラストダンス

アメーバの恋

わたしみ

パーティードレス(ギター弾語り)

マジックミラー

VOID

VOID (fast)

流星ヘブン

きもいかわ 

死神

 

アンコール

絶対彼女

ミッドナイト清純異性交遊

 

ダブルアンコール

REALITY MAGIC

 

2018/11/11 長野・松本 Sound Hall a.C

GIRL'S GIRL

Over The Party

TOKYO BLACK HOLE

ドグマ・マグマ

イミテーションガール

非国民的ヒーロー

7:77

ラストダンス

アメーバの恋

わたしみ

パーティードレス(ギター弾語り)

マジックミラー

VOID

VOID (fast)

Body Feels EXIT安室奈美恵

July 1st(浜崎あゆみ

絶対彼女

流星ヘブン

きもいかわ 

死神

 

アンコール

ポッキーラジオCMソング(ギター弾語り)

ミッドナイト清純異性交遊

ミッドナイト清純異性交遊

 

ダブルアンコール

REALITY MAGIC

 

2018/11/22 北海道・札幌PENNY LANE24

GIRL'S GIRL

Over The Party

TOKYO BLACK HOLE

ドグマ・マグマ

イミテーションガール

非国民的ヒーロー

7:77

ラストダンス

アメーバの恋

わたしみ

パーティードレス(ギター弾語り)

マジックミラー

VOID

VOID (fast)

流星ヘブン

きもいかわ 

死神

 

アンコール

絶対彼女

ミッドナイト清純異性交遊

 

ダブルアンコール

REALITY MAGIC

 

2018/12/07 大阪・心斎橋 BIGCAT

GIRL'S GIRL

Over The Party

TOKYO BLACK HOLE

ドグマ・マグマ

イミテーションガール

非国民的ヒーロー

7:77

ラストダンス

アメーバの恋

わたしみ

パーティードレス(ギター弾語り)

マジックミラー

VOID

VOID (fast)

呪いは水色(ギター弾語り、撮影可)

流星ヘブン

きもいかわ 

死神

 

アンコール

絶対彼女

ミッドナイト清純異性交遊

 

ダブルアンコール

REALITY MAGIC

 

2018/12/09 東京・昭和女子大学人見記念講堂

バンド①

GIRL'S GIRL

Over The Party

TOKYO BLACK HOLE

ドグマ・マグマ

イミテーションガール

非国民的ヒーロー

7:77

ラストダンス

アメーバの恋

わたしみ

パーティードレス(ギター弾語り)

マジックミラー

VOID

VOID (fast)

 

ギター弾語り(撮影可)

東京と今日

5000年後

SHINPIN

最終公演

 

バンド②

流星ヘブン

きもいかわ 

死神

 

アンコール

絶対彼女

ミッドナイト清純異性交遊

 

ダブルアンコール

REALITY MAGIC w/ 私。、藍染カレン

ニック・ドレイクと大森靖子と僕

f:id:nagai0128:20180311121459j:plain先日友人が家に遊びに来た時、僕の部屋の一角にある“神棚”に興味を示していた。“神棚”と言っても僕がそう呼んでいるだけで、僕が最も好きなミュージシャンの人達のサインやレコードなどを飾っているスペースのことだ。自分の好きなものに興味を持たれたのが嬉しく、ついレコード一枚一枚の紹介を始めてしまい、友人が帰った後も「さっきのミュージシャンだけど、このアルバムから入るといいよ!」的なことを長文で送りつける始末だった。

その時におすすめした中の一人がイギリス人ミュージシャンのニック・ドレイクだ。ただし、彼は既にこの世におらず、40年以上前に26歳という若さで亡くなっている。彼は生前に3枚のアルバムを発表しており、芸術に対して“完璧”という言葉を使うのは不適切な気がするが、強いてこれまでに僕が“完璧”だと思った音楽を挙げるとすればその3枚を挙げる。それぞれのアルバムは一枚ずつだけでも十分素晴らしいのだが、僕はいつも3枚を通して聴くことで、彼がいかに繊細で稀有な才能の持ち主だったか、音楽に希望と絶望を託していたかが少し分かるような気がする。冒頭の友人におすすめしたのはもちろん3枚全てのアルバムだ。

彼の人生について書かれた文章は山ほどあるので、ここでは要約して書くことにする。彼は1948年にビルマで生まれ、まもなくしてイギリスへ戻る。通っていた学校で首席となったり陸上の記録を作ったりするような少年で、やがてケンブリッジ大学へ進学する。彼は13ポンドで手に入れた初めてのギターで曲を書き始め、20歳の時にその才能を見出されてレコード会社と契約し、1969年にデビュー作「Five Leaves Left」を発表する。一曲目の“Time Has Told Me”のイントロのギターの音色と“Time has told me”という歌い出しだけで一気に彼の音楽の世界へ引き込まれる。アルバムの前半は空一面を厚い雲が覆うようなダークで緊張感のある曲が続き、中盤の“‘Cello Song”以降は雲の切れ間から陽の光が差し込むような暖かさを感じる曲が多くなり、聴き終えると得も言われぬ感動の余韻が残る。決してキャッチーではないが、傑出したデビューアルバムに違いないと思う。しかし当時は評論家やメディアでの評判は高かったものの、セールスは振るわなかったようだ。同様の事がこの後にリリースされた2枚目、3枚目のアルバムでも続くのだが、このエピソードを思い出したことがまさに僕が今回のブログを書こうと思ったきっかけになっている。なお、「Five Leaves Left」(残りあと5枚)というタイトルは、当時の手巻きタバコの最後から5枚目の巻紙に印刷されていた言葉から来ている。彼がこれをタイトルに採用した理由は不明だが、彼はこのアルバムを発表した5年後に亡くなっており、まるでその後の自分の運命を暗示していたかのようである。

f:id:nagai0128:20180311121426j:plain

彼はプロモーションのためにフェアポート・コンヴェンション(バンドメンバーに彼の才能を最初に発見した人物がいた)などと共に、ライブに出演したりツアーに参加したりしたが、会場は熱心にステージを見る客の少ないイギリスのパブが中心だったため、彼にとっては苦痛でしかなく、二度とツアーをしようとはしなかったようだ。そして彼はケンブリッジ大学を中退してロンドンに引っ越し、1970年にレコーディングを行い発表したセカンドアルバムが「Bryter Layter」である。一曲目の“Introduction”はキラキラしたギターの演奏にストリングスが加わった美しいインスト曲で、冒頭から「Five Leaves Left」とは違ったアプローチを試みていることが分かる。その後もアルバム全体を通じて、前作にはなかったサックスやフルートといった楽器や女性のバックコーラスなどを用いた色彩豊かなアレンジが施されており、広く受けられやすいポップ・アルバムとしての試みは十二分に成功していると思う。ところが、これだけ一聴して優れた作品だと分かるアルバムであるにも関わらず、当時のセールスは1万5千枚ほどで、彼はそのことに失望してロンドンから実家へ戻ってしまったという。

その後、彼は精神科医にかかり抗うつ剤を飲むようになるほどの状態だったようで、そんな中でレコーディングを行い、1972年にリリースしたのが3枚目にして最後のアルバム「Pink Moon」である。30分足らずのこのアルバムはたった二晩で録り終えたという。一曲目の“Pink Moon”でピアノが使われている以外、演奏は全て彼のギターのみである。前二作と打って変わってアレンジが排された今作を聴いて感じるのは、圧倒的な孤独だ。まともに話すこともできなくなっていたという彼の音楽は究極まで削ぎ落とされており、触れたら崩れてしまいそうなほどに脆くて美しい。僕はそれに向き合う度に言葉を失い、只々彼の音楽を静かに受け止めることしかできなくなる。しかしながら、彼が自分の命と信念を限界まで振り絞って作ったであろうアルバムですらも、当時は満足のいく評価を得られなかったようだ。

そして1974年11月25日、彼の母親が朝食をどうするのか聞きに彼の部屋に入ったところ、ベッドの上で冷たくなっている彼を発見した。抗うつ剤の服用が原因とされているが、それが自殺か事故かは分かっていない。彼の最後のアルバムである「Pink Moon」の最後に収められているのは“From The Morning”という楽曲で、彼の死が発見されたのが朝だったというのも、音楽に希望を見出そうとしながらも運命を翻弄された彼らしい因縁のようなものを感じてしまう。

これまで書いてきたように、彼の音楽は生前(少なくとも彼が満足する水準では)評価されなかったが、彼の死後になってその評価は大いに高まった。なお、彼の音源はYouTubeに上がっているが、そのリンクを一切貼っていないのはCDでもデジタルでもいいので課金してアルバムを通して聴いてもらいたいからである(ニック・ドレイク本人にお金が入る訳でもないのでYouTubeでもいいのだが、途中途中で広告が入る聴きづらいものしか上がっていないのでおすすめしない)。

さて、僕は現代のミュージシャンの中にもニック・ドレイクのような繊細で美しい魂を感じる歌手がいる。それが大森靖子さんだ。大森さんがこれまで発表してきた楽曲は弾語りからバンドサウンドのものまで幅広いが、直近では昨年9月に弾語り主体のアルバム「MUTEKI」をリリースしており、先月YouTubeの東京都公式動画チャンネルで映像が公開された最新曲の“東京と今日”も大森さんの歌とギターのみの弾語り曲だ。

www.youtube.com

シンプルな弾語りだからこそ大森さんの優しさと激しさを併せ持った歌声が際立つ素晴らしい曲であり、何より惹きつけられるのは歌詞の普遍性とそれゆえの多義性だ。大森さんは他のミュージシャンに例えられたり比較されたりするのを嫌うかもしれないが、この曲を聴いて感じる研ぎ澄まされた才能と美学は僕にとってニック・ドレイクを想起させる。ただ残念なのは、この曲の存在がまだほとんど世間に知られていないということだ。動画が公開されてから間もなく1ヶ月という現時点で、再生回数はようやく5万回に到達しようかというところだ。もっとずっと多くの人に知ってもらうべき曲だと思うし、こういった部分まで生前に評価されなかったニック・ドレイクと重なってしまうのは寂しい。

僕はニック・ドレイクが生きていた時代にまだ生まれてもいなかったので、彼が生きている間に真っ当な評価を得られなかったことについては過去の事実として黙って受け入れるしかないと思えるが、今リアルタイムで同じ時代を生きている大森さんについて同じことを考える時はそう思わない。大森さんの二つとない素晴らしい音楽は大森さんが生きている間にきちんと評価されてほしいし、それによって大森さんが自分のやってきたことの正しさを実感してほしいと思う。仮に大森さんの音楽が生前に評価されず、50年後100年後に大森さんの音楽を聴いた人が、生前は評価されなかったなどと言いながら大森さんの音楽を愛でるのを想像するだけで腹が立つ。大森さん自身がもっと自分の音楽は評価されてもいいはずだと歯がゆい思いをしているのも感じるので、余計にそう思う。

つい2週間ほど前の2月27日、Zepp Tokyo銀杏BOYZ大森靖子の2マンライブが行われた。銀杏BOYZ峯田和伸という人物に対する大森さんの思い入れは知っているし、この日のライブに並々ならぬ意気込みをかけているのは分かっているつもりだったが、僕が見たステージ上の峯田さんと大森さんが音楽に託すそれぞれの人生と二人の関係性はあまりに美しく、眩しく輝いていた。それを見た僕は自分の生き方にきちんと向き合えていないことについて問われたようでショックを受けてしまい、ライブ後しばらく精神的に不安定な状態になってしまったほどだ。つい先日、この日の“駆け抜けて性春”のライブ映像が公開されたが、これは先攻の大森さんの出番の冒頭にサプライズで峯田さんが登場し、会場全体が爆発するような盛り上がりを見せたハイライトシーンの一つだ。この動画だけでもこの日のライブがいかに美しいものだったか、その一端が分かると思う。

www.youtube.com

lineblog.me

この日のライブで大森さんは憧れの人と共演して全力でぶつかり合い認め合うことができたという形で、今までやってきたことが一つ報われたのだと思うが、僕はそんな大森さんに今度は大森さんの音楽がもっと売れるという形で報われてほしいと思っている。ここで言う“売れる”にはあまり具体的な意味を込めていないが、少なくとも届くべき歌が届くべき人に届くことを意図している。また、大森さんが“マジックミラー”で歌っている「あたしの有名は君の孤独のためにだけ光るよ」という歌詞は、大森さんが売れることでより意味を持つはずだと思っている。僕は大森さんにはニック・ドレイクのような“孤高の天才”で終わってほしくないし、国民的超歌手になってほしいと思っている。

だから僕は大森さんから感じるもっと報われたいという気持ちに、微力ながらライブに行ったりこうした文章を書いたりすることで向き合いたいし、それは同時に僕が報われたいからでもあるのだと思う。あとこれは我ながら拗れていると思っているのだが、僕が大森さんの現場に行き続けるのは、大森さんに「私には全通してくれるようなファンもいないから」という言い訳をさせないためでもある。僕は大森さんがもっと売れるためには、あとは大森さん自身が頑張るしかないと考えており、僕たちファンの役目は大森さんが頑張ろうと思える原動力になれるよう応援し続けることだと思っている。

個人的にニック・ドレイクのアルバムの中では最後の「Pink Moon」が最高傑作だと思っているが、大森さんについても、大森さんには死ぬまで最高を更新し続けてほしいと願っている。つまり、大森さんが死ぬ前に作る最後の作品が、大森さんにとっての最高傑作であってほしいということだ。そうすれば大森さんの音楽を一生好きでい続けることができるし、その最後の作品を聴くまで生きていたいと思えるからだ。

 

ちなみに、今回のブログのタイトルは、今月末に行われる向井秀徳と大森さんの2マンライブのタイトル「大森靖子向井秀徳とあなた」をもじったものである。僕は一度もライブを見ることなく解散したナンバーガールに対しては、また一言では説明できない拗れた思いがあるのだが、僕が向井秀徳を好きなのを知ってくれている大森さんがある時に「向井さんとも2マンしなきゃですね」と言ってくれていて、それをもったいぶらずに早々に実現させてくれたライブなのでとても楽しみにしている。

 www.youtube.com

2018/01/29 ごっちん葬儀スピーチ全文

この度は真介君のご家族、知人・友人の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。私と真介君は音楽の趣味を通じて知り合った友人です。特に二人とも大森靖子さんという歌手の大ファンでした。知り合いのファンの間では真介君のことを「ごっちん」とあだ名で呼んでいて、今日はそんなごっちんさんに宛てて手紙を書いてきましたので、そちらを読ませていただきます。

 

ごっちんさんへ

まずは、39年間お疲れ様でした。この冬はごっちんさんが入院する前まで大好きな大森靖子さんの全国ツアーを一緒にまわり、そして1月20日のツアーファイナルの中野サンプラザ公演も一緒に見られてとても嬉しかったです。今日は、僕が中野サンプラザ公演の日にご家族と一緒に病院から会場までごっちんさんに付き添って行った経緯もあり、お父様から友人代表としてスピーチをお願いされました。

正直に言うと、ごっちんさんのことをもっと古くから知っていて、僕が知らないごっちんさんのことを知っている友人は他にたくさんいらっしゃることと思います。そんな中で僕が話をするのは恐れ多いのですが、せっかくなのでごっちんさんと僕の個人的な事についてお話させてください。

僕がごっちんさんと初めて話したのは確か2年前の8月、八丈島大森靖子さんのライブを見に行った時だったと思います。お互い積極的に人付き合いをするタイプではなかったので、すぐに仲良くなることはありませんでしたが、二人とも頻繁にライブに通っていたこともあり、元々性格が似ている部分はあったので、そのうち自然と気兼ねなく話せるようになりました。ごっちんさんは大森靖子さん以外にも幅広い音楽の知識やエピソードを持っていて、ごっちんさんと話をする時はいつも感心させられっぱなしでした。

そのうちごっちんさんが杖をついてライブを見に来るようになって、自分からは決してそのことについて話そうとしなかったので、僕もずっとごっちんさんの体のことはあまり詳しく知りませんでした。そして昨年11月から大森靖子さんの全国ツアーが始まり、ごっちんさんと僕は15公演全てに行こうとしていて、毎週のように全国各地を飛んで回っていました。そんなことをしていたのはごっちんさんと僕だけだったので、まるで同志のように思えて、今回のツアーでごっちんさんとは急速に距離が縮まったと思っています。

僕がごっちんさんの体調のことを聞いたのは昨年12月16日の宮城公演を見終わって二人で東京へ帰る新幹線の車中でした。そして今年に入って1月12、13日の松山・高知での公演にごっちんさんが姿を見せていなくて、心配になって連絡したら入院していることを教えてくれました。その翌日に僕は高知から飛行機で東京へ戻ったその足で病院へお見舞いに行きました。ごっちんさんは元々スリムな体型でしたが、入院前の昨年末に大森さんのファンクラブイベントで会った時と比べるとまた一段と痩せていました。でも病室のベッドの上から僕を見つめる優しい眼差しや飄々とした雰囲気は普段のごっちんさんと変わっていなくて安心したのを覚えています。そこで一週間後に控えていた大森さんの全国ツアーファイナルの中野サンプラザ公演だけは絶対に見に行ってほしいと思い、その後何度か病院へも足を運んで色々と打ち合わせや手配をしました。

ご家族、病院関係者、avexの関係者の皆さんがごっちんさんのためにあらゆる準備を整えてくれて、何よりごっちんさん自身がライブを見に行けるよう頑張って体調を整えていました。当日病院で会場までの移動に使う車椅子に乗る時に、ごっちんさんがベッドからすっくと立ち上がって自分の力で車椅子へ歩いて向かうその姿が、とても凛としていて格好良かったのが印象に残っています。そして、中野サンプラザで大森さんのライブを無事に見届けて病院まで戻ってきた頃には、疲れ切って車椅子の上で眠ってしまっていましたが、ごっちんさんの意志の強さと逞しい生命力に唯々感動していました。

ごっちんさんは体調のことも入院のことも他の人に心配をかけたくないからと気を遣って自分からは決して言いませんでした。でも僕はツアーの帰り道の新幹線で初めてごっちんさんの体調のことを知った時から、僕がごっちんさんにできることは全てやろうと思いました。だから、ごっちんさんが入院していることや、大森さんにリクエストするとしたらchu chuプリンをリクエストしたいと言っていたことを、大森さんに伝えました。そしたら大森さんはそれに応えて、1月19日に大事な中野サンプラザ公演の前日にも関わらず裏ツアーと称して病院へお見舞いに来てくれました。ごっちんさんが毎公演会場で買っていたグッズのギターピックを大森さんがプレゼントしたら「やったー!」と大げさに喜んでみせたり、大森さんと僕に気を回してお見舞いの品の高級ポッキーをお裾分けしてくれて、大森さんが不器用でその箱をうまく開けられないのを見て「そういうの今までよく見た」と言って優しく微笑んだりする様子を、僕は「やっぱりごっちんさん好きだな」と思いながら眺めていました。そして、大森さんは中野サンプラザのライブでごっちんさんに寄り添ってchu chuプリンを歌ってくれました。ごっちんさんも僕も、大森さんの単なるアーティストとファンという関係を超えて向き合ってくれるところが好きでしたが、最後の最後でまたその姿勢を徹底的に貫くところを見せてくれました。本当に大森靖子さんは僕たちのヒーローです。

僕はごっちんさんがこれからもずっと心の中で生き続けるのだろうなと思っています。ライブに行ったらいつものように「どうも、どうも」と言いながらごっちんさんがひょっこり現れるような気がしています。超一生大森靖子ヲタクとして、超生きて、また現場で笑って会いましょう。今までありがとうございました。さようなら。

f:id:nagai0128:20180614075623j:plain

f:id:nagai0128:20180129223636j:plain

f:id:nagai0128:20180128191556j:plain

f:id:nagai0128:20180130073109j:plain

f:id:nagai0128:20180129150918j:plain

www.youtube.com

2017年の僕を構成する10曲

2017年も残り1ヶ月を切ったところで、少し早いが今年の音楽に関する個人的な振り返りを、この一年間にリリースされた作品の中から特に思い入れのある10曲を選びつつ書き綴ってみたいと思う。ほとんど自分のための備忘録のようなもので、以下は概ね音源がリリースされた順としており、あえて順位は付けていない。

 

1. The xx - On Hold

www.youtube.com

UKの3人組のバンドThe xxの3rdアルバム「I See You」からの楽曲。The xxは2009年のデビューから一貫したクールでミニマルな音楽スタイルで、10年足らずで世界各地のフェスのヘッドライナーを務めるほどの人気と地位を確立している。今年フジロックに3度目の出演を果たし、今回は一番大きなグリーンステージのトリ前に登場した。2010年のレッドマーキーと2013年のホワイトステージでのライブを見た時は、共に期待値を上げすぎたこともあり正直物足りなさを感じてしまったのだが、今年は見違えるほどスケール感が大きくなっていて、とても素晴らしいライブだった。

メンバーであるJamie SmithがJamie xx名義で行なっているソロプロジェクトも含め、また今後の活動が楽しみだ。

以下は2015年にリリースされたJamie xxの「In Colour」に収録されている“Gosh”

www.youtube.com

 

2. Dirty Projectors - Cool Your Heart

www.youtube.com

USのDirty Projectorsによるセルフタイトルアルバム「Dirty Projectors」からの楽曲。Dirty Projectorsは少し前まで男女混合の大所帯バンドだったが、突如リーダーであるDavid Longstrethのソロプロジェクトとなった。また、今作は彼がかつてバンドメンバーだった女性との破局を経て制作されたという背景があり、その経験が“Cool Your Heart”をはじめ“Keep Your Name”“Up In Hudson”“Little Bubble”といった実験的でありながらキャッチーで人間の温もりを感じる優れた楽曲の数々に結実したのだと思うと、彼の才能に敬服すると同時に人としてもファンになった。先に挙げた4曲と次に紹介する大森靖子さんの「kitixxxgaia」は今年上半期の仕事が忙しい時期にひたすら聴いていた記憶がある。

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

 

3. 大森靖子 - アナログシンコペーション

f:id:nagai0128:20171202234814j:plain

冒頭で順位は付けないと書いたが、もし順位を付けるとしたら間違いなく2017年のベストアルバム第1位は大森靖子さんが3月にリリースした「kitixxxgaia」(読みはキチガイア)だ。個人的には大森靖子さんがこれまで発表してきた音源の中で全体的な完成度は最も高いと思っている。何より特徴的なのは収録曲のバラエティの豊富さだ。インストゥルメンタルバンドのfox capture plan、神聖かまってちゃんのの子、アイドルグループゆるめるモ!のあの、今や米津玄師や岡村靖幸とのコラボで一躍時の人となったDAOKOとコラボレーションした楽曲や、今年解散したアイドルグループ℃-uteに提供した“夢幻クライマックス”のセルフカバー、他にも既にシングルとしてリリースされていた楽曲や今作のために書き下ろされた新曲が収められている。そしてそのどれもが主役級の完成度で捨て曲が一切無く、まさに持てる力を全て注ぎ込んだといえる渾身の作品となっている。個人的に好きな曲はその時々によって変わるが、アルバムリリース時に好きでよく聴いていたのが終盤に収められている“アナログシンコペーション”という曲だ。その入れ込み具合はただこの一曲についてだけひたすら歌詞分析をしたブログを書いたほどである。

nagai0128.hatenadiary.jp

ただ大森靖子さんのすごいところは、これだけ全力を出し尽くしたと思える傑作を世に放ってからわずか半年足らずで、後ほど紹介する“draw (A) drow”や“わたしみ”、“流星ヘブン”といった名曲を次々と生み出してしまう恐ろしいほどの才能と飽くなき創作意欲である。

 

4. 欅坂46 - 不協和音

www.youtube.com

昨年のデビュー曲“サイレントマジョリティー”でアイドルシーンに革命ともいうべき衝撃と共に現れた欅坂46の4thシングル「不協和音」からの楽曲。その後に発売された1stアルバム「真っ白なものは汚したくなる」にも収録されており、ヒーローの格好良さに対して抱くワクワクした憧れのようなものを感じてとても好きな曲だ。

欅坂46はあらゆる点で魅力的なグループで、ハマるととことんハマってしまいそうなのが怖くて現場に行くことはせず、音源を聴くだけに止めていたのだが、今年のサマーソニックで初めて生でライブを見る機会があった。ライブは楽曲・衣装・ダンスが高いレベルで見事に調和しており、期待を遥かに上回るエンターテイメントショーだった。今まで見てきたアイドルは一体何だったのだと思わされるほどオリジナルで圧倒的なライブで、特に “エキセントリック”の独創的なパフォーマンスは感動すら覚えた。

www.youtube.com

 

5. Kendric Lamar - HUMBLE.

www.youtube.com

今やUSのラップシーンにおける最重要人物の一人となったKendric Lamarの最新アルバム「DAMN.」からの楽曲。YouTubeの再生回数は文字通り桁違いで、今度の第60回グラミー賞でも数多くの部門にノミネートされている。僕はラップやR&Bなどのブラックミュージックはそこまで詳しくないのだが、2010年代に出てきたこのKendrick LamarやFrank Ocean、Chance The Rapperはジャンルの枠にとらわれない音楽性の高さがあり、注目している。昨年Chance The Rapperがリリースした「Coloring Book」もとても好きで、今年になってからも仕事の作業用BGMとしてひたすら聴いていた。

www.youtube.com

Kendrick Lamarは2013年のフジロックでホワイトステージに出演しているが、来年のフジロックサマーソニックにヘッドライナーとして出演するのではないかと予想している。Frank OceanとChance The Rapperはあまり来日しないような気がするが、もし機会があればぜひ一度ライブパフォーマンスを見てみたいと思う。

 

6. Have a Nice Day! - Fantastic Drag feat. 大森靖子

www.youtube.com

東京のアンダーグラウンドシーンで精力的に活動を続けているハバナイことHave a Nice Day!が今年6月にリリースしたシングル「Fantastic Drag」に収録された、先ほども紹介した大森靖子さんをフィーチャリングした楽曲。このコラボが実現したのは、昨年5月に新宿タワーレコードで行われた大森靖子さんの「TOKYO BLACK HOLE」というアルバムのリリースイベントにハバナイのフロントマンである浅見北斗が足を運び、ライブ後に大森靖子さんと会話を交わしたのが最初のきっかけだと思われる。僕はその少し前からハバナイにハマってライブに通っており、大森靖子さんもアルバム表題曲の“TOKYO BLACK HOLE”を聴いて心を鷲掴みにされて現場に通い始めた頃だったので、そんな二人が出会ったことに当時とてもワクワクしたのを覚えている。それから約1年でコラボ曲の制作、そして今年7月に「Fantastic Drag」のリリースパーティーとしてTSUTAYA O-EASTで2マンライブを開催するまでに至ったのは、個人的にとても嬉しいことだった。その2マンでライブとしては初めて“Fantastic Drag feat. 大森靖子”が披露され、その後も11月の渋谷WWWでのMaison book girl with カオティック・スピードキングとの2マンライブと川崎クラブチッタでのロフトフェスでも披露されている。毎回大森靖子さんと浅見さんが同じステージに立って歌うのを見て得も言われぬエモーショナルな気持ちになるのだが、それは今後二人がこの曲をライブで共演する機会はもうそれほど多くないのだろうという諦めと寂しさも感じるからだと思う。

www.youtube.com

 

7. Lorde - Green Light

www.youtube.com

ニュージーランドの若き女性シンガーソングライターによる2ndアルバム「Melodorama」からの楽曲。デビュー曲の“Royals”が世界的なブームを巻き起こして10代にしてグラミー賞を受賞し、その後に出演した2014年のフジロックレッドマーキーでのステージは個人的にその年のベストアクトだった。そして今年2度目の出演となるフジロックでは大出世して一番大きなグリーンステージに登場した。ステージ奥にバックバンドはいたものの、ほぼ一人で数万人を収容できるグリーンステージの空間を完全に制圧しており、ラストで披露した“Green Light”は今年見た中で最も感動的で圧巻のパフォーマンスの一つだった。

まだ弱冠21歳(フジロック出演時は20歳)というのが信じ難いが、今後が末恐ろしくも楽しみなアーティストである。

 

8. 大森靖子 - draw (A) drow

www.youtube.com

先ほど紹介した「kitixxxgaia」のアルバムタイトルを冠して大森靖子さんが今年6月から行った全国ツアー「2017 LIVE TOUR "kitixxxgaia"」(以下、kitixxxgaiaツアー)の開始直前にリリースが発表され、8月に発売されたのがシングル「draw (A) drow」(読みはドローアドロー)だ。タイトル曲の“draw (A) drow”は凛として時雨のTKが作曲・編曲・プロデュースを手がけており、演奏にはドラムに同じく凛として時雨ピエール中野、ベースには元NUMBER GIRL中尾憲太郎が参加している。

正式なライブでの初披露は7月20日の東京ZEPP Diver Cityでのkitixxxgaiaツアーファイナルだと思うが、実はその前にとあるライブでゲリラ的に披露されており、そこで初めて聴いた時に凛として時雨のような疾走感溢れる演奏にTKさんではなく大森靖子さんの突き刺すような高音のボーカルが乗っかるのがたまらなく格好良く、全身の毛が逆立つのを感じたことを覚えている。音源の初解禁はラジオで、CD発売まではそれを録音したのをひたすら繰り返し聴いていた。また、大森靖子さんは昨年の10月から今年の9月まで東海ラジオで「LIFESTYLE MUSIC 929」というラジオ番組のパーソナリティを務めていたのだが、kitixxxgaiaツアー終了後に番組に自分のツアーの感想と共に“draw (A) drow”の弾き語りリクエストを送ったらそれを採用して下さり、しかもその時の弾語りが初演奏だったらしく個人的にとても嬉しい出来事だった。

 

9. 大森靖子 - わたしみ

www.youtube.com

先ほど紹介したシングル「draw (A) drow」の2曲目に収録されている楽曲。リード曲である“draw (A) drow”の歌詞はTKさんのリクエストにより大森靖子さんが自分と向き合って書いたものだと言っていたが、この“わたしみ”もまた別の角度から自身の内面を投影した曲となっている。MVでの大森靖子さんと周りの風景の息を飲むような美しさは初めて見た時に茫然としてしまったほどだ。アルバム「kitixxxgaia」では自らを「神様」とまで言ってのけていた大森靖子さんが、その約半年後のシングル「draw (A) drow」では一転して自分自身を「人間」としてとことん見つめ、それを曲に描き出したという点において、全く違ったアプローチで生み出した作品といえる。少し前にラジオか何かで「曲毎に違う役割を持っていて、曲毎に作り方を変えている」といった主旨のことを言っていたが、そういった視点や方法の転換ができるからこそ、大森靖子さんの曲には一つとして似たものがないのだと思う。

なお、シングル「draw (A) drow」の3曲目には欅坂46の“サイレントマジョリティー”のカバーが収録されている。

www.youtube.com

この曲に関して大森靖子さんは「サイレントマジョリティーを地で行く人 is 私」と自認しており、収録されたカバーでは曲を自らの血肉にするが如く、オリジナルのようにクールに淡々と歌うのではなく祈るように絞り上げるような声で歌い、曲の雰囲気もクラムボンのミトさんのアレンジによりガラリと違ったものになっている。

 

10. 大森靖子 - 流星ヘブン

www.youtube.com

アルバム「kitixxxgaia」とシングル「draw (A) drow」に続き、9月にリリースされた今年2枚目となるアルバム「MUTEKI」に新曲として収録された楽曲。このアルバムは少し変わった構成で、“流星ヘブン”を含む冒頭の2曲のみ新曲で、残り18曲が既存の楽曲を弾語り主体で再録したベスト“的”アルバムとなっている。“流星ヘブン”について、大森靖子さんはラジオで「自分の基礎的な、根底的な部分を大事にした曲」「自分の生き方の曲」と語っており、前シングルと同様に「自分」がテーマとなっているものの、「draw (A) drow」の収録曲とはまた違った聴き手への訴え方をする曲である。

僕は“draw (A) drow”“わたしみ”“流星ヘブン”の「自分」シリーズ3部作(と勝手に名付けている。“サイレントマジョリティー”も含めれば4部作)を聴きながら歌詞を読む度に、まだ僕自身がきちんと自分に向き合えていないことに気付かされる。そして自分自身と向き合えていない僕は、自分自身と向き合っている大森靖子さんと向き合うことができてないということ、そしてそれは大森靖子さんの音楽と向き合うことができていないということではないか、という考えに至り、一人で勝手に病んでいた時期があったのだが、それは9月に川崎で開催されたベイキャンプでの大森靖子さんのバンドセットのライブを見て少し和らいだのと、“流星ヘブン”の「消えてしまう前の私に一瞬でもいい追いついて」という歌詞を「今すぐじゃなくてもいつか自分自身と向き合えるようになれればいいよ」と言ってくれていると捉えることで折り合いをつけることができた。

現在大森靖子さんは最新アルバムをひっさげた全国ツアー「超歌手大森靖子 MUTEKI弾語りツアー」の真っ最中である。ここまで10曲挙げてきたのをご覧いただければ分かるとおり、日本では僕の中で大森靖子さんはまさに無敵状態で、今回のツアーも行ける限り行って一回でも多くそのライブを目撃したいと思っている。もし大森靖子さんのライブを見たことがない方で、何かの縁でこのブログをご覧いただいている方がいらっしゃれば、ぜひ一度ライブに足を運んでみていただきたいと思う。以下の動画は公式に公開されている現時点で最新のライブ映像で、毎年大森靖子さんが自分の生誕祭として開催しているライブのものだ。この日のライブは今のところ僕の中で今年のベストである。

www.youtube.com

 

2017年は好きなアーティストが素晴らしい作品やライブを届けてくれた充実した一年で、残り1ヶ月もまだまだライブに行く予定があり楽しみだ。ただ、邦楽洋楽共に常に最低限のアンテナは張っているつもりだが、今年は新しくて面白い出会いがほとんど無かったので、2018年はもっと積極的に開拓していきたいと思っている。来年の今頃に同じように10曲選んだ時にどのような顔ぶれになるのかと思うと今からワクワクするし、来年も素晴らしい音楽があれば僕は生きのばしていくことができそうだ。

2017/09/30 大森靖子@30人限定弾語りライブ

シンガーソングライターで自称“超歌手”の大森靖子さんの30人限定という超貴重なライブに行ってきた。このライブは9月27日に発売されたアルバム「MUTEKI」の収録曲“流星ヘブン”のMVを使った企画で、GYAO!YouTubeに同曲のバージョンが異なるMVが公開され、間違い探しをして正解した人の中から抽選で30名をライブに招待するというものだ。


gyao.yahoo.co.jp 

www.youtube.com

僕は善は急げとばかりに企画が発表されたその日に間違い探しを終えて抽選への申込みを完了した。それからしばらく経った9月19日に当選のメールが届いた。普段のライブみたく当然のように当たってしまった気がしたのだが、その後に知り合いのファンの人達に聞いてみると顔見知りで当選したのは片手で数えても余る位の人数で、徐々に超レアなライブに当たったのだという実感が湧いた。ライブ当日は更に現実味を帯びて朝からずっと緊張しっ放しだった。

会場は紀尾井町にあるYahoo! JAPAN本社で、受付が開始する19時前には建物の2階にある受付へ到着した。受付を済ませてビジターカードを受け取り、19時半にエレベーターで17階にあるLODGEスタジオへ案内された。席は予め決められていたので、自分の番号の席を見つけて座り開演を待った。スタジオの中では「MUTEKI」がかかっており、縷縷夢兎の東佳苗さんが装飾を手掛けたステージが照明で幻想的にライトアップされていた。客席の方は薄暗く、普段のライブハウスとは違った雰囲気やスタッフが多かったこともあり、妙な緊張感に包まれているように感じた。

f:id:nagai0128:20171001135440j:plain

f:id:nagai0128:20171001135445j:plain

この日のライブはGYAO!で生配信されており、そのアーカイブは後日見ることができるようになる予定とのこと。

gyao.yahoo.co.jp

今回のブログではせっかくなので配信されていない時にスタジオで起こった出来事を中心に書きたいと思う。配信開始5分ほど前にギターを持った大森さんが登場し、ギターのチューニングをしながらリクエストを募った。しばらくの間誰も言い出さなかったので、僕は口火を切って「音楽を捨てよ!」と“音楽を捨てよ、そして音楽へ”をリクエストした。9月9日に川崎で開催されたBAYCAMPというフェスでのとある出来事をきっかけにしばらくネットを賑わせていた曲である。

lineblog.me

その騒動を経たことによって、災いが転じて福となったという表現は適切でないかもしれないが、その後に僕が見た9月16日の山形にある若宮寺で開催された寺フェスや9月18日の大森靖子生誕祭などのライブにおいて、大森さんは“音楽を捨てよ、そして音楽へ”のパフォーマンスをより力強く、沸騰する感情のマグマを爆発させて圧倒的なエネルギーを放つものに昇華させていたのである。

lineblog.me

従って、“音楽を捨てよ、そして音楽へ”は僕が今ライブで一番聴きたい曲であり、リクエストするチャンスがあったらこの曲にしようと決めていた。ここ最近のライブでは毎回歌っているので恐らくリクエストしなくても歌ってくれたとは思うが、「僕はこの曲を聴きたい」という気持ちを伝えたかったのである。リクエストを聞いた大森さんは「それは、やりましょう」と大げさに情感を込めた感じで言ったので観客からは笑いが起こった。「今やるしかないからね。大したヒットもしてないのに有名になって得だよね。ラッキー笑」と早速いつもの大森さん節を発揮していた。その後に最前列の男性が“秘めごと”をリクエストした。そして大森さんは最前列に座っていた別の男性のリュックから頭だけが出ているシュタイフを見つけて、「首だけ出てるのこわいね。皆ここに並べますか?」と言って観客が持っているクマのぬいぐるみを集めてナナちゃん(いつも大森さんのライブにいるマスコットキャラクター的な存在のクマ)が座っているテーブルに一緒に並べることになった。大森さんがお客さんから「メーカー違くてもいいですか?」と聞かれて「メーカーとかないから!」と返して笑いが起こったり、クマのぬいぐるみが並んでいるのを見て「めっちゃかわいい!」と喜んだりしていて、そのお陰でスタジオの緊張感が幾分和らいだように感じた。クマのぬいぐるみは美マネ(大森さんの女性マネージャーで美人なことからそう呼ばれている)が並べたのだが、大森さんが「佳苗ちゃんとは違う美的センスを感じる」と評していた。

配信が始まる直前に大森さんが「配信って始めから見る人より途中から見る人の方が多いのかな?最初から見るか。じゃあ最初に“音楽を捨てよ”やりますね」と言って、さらに本番1分前になってふと思いついたように「“音楽は魔法ではない”の合唱から始まってもらっていいですか?」と言い、配信開始10秒前くらいから観客に“音楽は魔法ではない”の合唱をさせ、ライブがスタートした。この日のライブのセットリストは以下のとおり。

 

音楽を捨てよ、そして音楽へ

TOKYO BLACK HOLE

みっくしゅじゅーちゅ

非国民的ヒーロー

ミッドナイト清純異性交遊

呪いは水色

オリオン座

君に届くな

あまい

東京秘めごと

少女漫画少年漫画

ハンドメイドホーム

アナログシンコペーション

マジックミラー

 

<配信終了後>

剃刀ガール

 

アンコール

Over The Party

さっちゃんのセクシーカレー

ゆずれない願い田村直美

謡曲

 

“音楽を捨てよ、そして音楽へ”から“マジックミラー”までのライブやMCの様子はアーカイブを見てもらえればと思うが、途中の“ミッドナイト清純異性交遊”と“呪いは水色”の間に“流星ヘブン”のMVを流す時間があり、その間にも大森さんはスタジオで色々な話をしてくれていた。“ミッドナイト清純異性交遊”の後にVTR振りをしてMVが始まった瞬間に大森さんは「いぇーいオフライン!」と言って観客を笑わせてから、「今日嫌なことがあった人いますか?誰もいなかったらマネージャーに振るけど、あの人エピソード強すぎるから控えたいんですけど」とか「でも今日は宣伝のライブだからこんな大森靖子効果があった、人生が良くなったっていうのにしようかな」など、この日この場所にいる30人の観客とリアルタイムでライブを作り上げようとしていて、その空間を自分がその30人の中の1人として共有していることに得も言われぬ高揚感を感じた。と思いきや急に話が逸れて、某雑誌でとあるバンドが「客と共依存する関係マジ無理」「それで曲を作るのは情けない」と言っていたのを見てうるせー!それでも好きなことはやれるんじゃー!と思ったという話(そのバンドの音楽は良いけどね、と後でフォローを入れていた)や、宇多田ヒカルさんのインタビューに自分のブログみたいな普通の人間っぽいところが書いてあって好感を持ったという話をしたりして、なんとも“ライブ”感のある時間だった。スタッフの人がもうすぐMVが終わることを告げると、大森さんは「ここから始めようかな」と言って客席の中央に設置されたマイクの所へ来た。その間にも「後ろの方の人、見えなかったら椅子ずらしてもらっていいですからね」と気配りをしたり、良いことがあったエピソードを話してくれたお客さんにピックをプレゼントしたりと配信再開ぎりぎりまで様々なやりとりがあった。

配信が再開した後はノンストップでライブが続き、“マジックミラー”で配信が終了すると「はい、配信終了です。ありがとうございました!」と言ってすぐに配信中に最前列の女性からリクエストがあった“剃刀ガール”を歌い始めた。僕もこの曲が好きで、それもライブでは滅多に聴けない曲なので、それをこの少人数で聴けるというシチュエーションを目の当たりにして今日一日でどれだけの運を使い果たしてしまったのだろうと思った。歌い終えると大森さんは自ら手拍子をして「アンコール、アンコール」と言い始め、それにつられて観客が数回アンコールを言ったところで「アンコールありがとうございます!」と言ってすぐさまアンコールが始まった。ひとしきりお客さんや美マネとのやりとりがあり“歌謡曲”と“Over The Party”をやることになった。最初に“Over The Party”をピントカ仕様(大森さんが以前組んでいたバンドである大森靖子 & THEピンクトカレフの“進化する豚”の歌詞をお客さんに歌わせるバージョン)で歌った。歌い終えると大森さんが突然「この中に向井秀徳さんはいらっしゃいませんか?向井秀徳さんっぽくセクシーカレーを歌える人いますか?」と言い出した。向井秀徳さんは音楽ファンにはもはや説明不要だが、2002年に解散したNUMBER GIRLという伝説的なバンドの中心人物で、今はZAZEN BOYSというバンドやKIMONOSというデュオ、そしてソロで活動を続けている、僕も大ファンのミュージシャンだ。

twitter.com

この日のライブの数日前にその向井秀徳さんがライブで大森さんの“さっちゃんのセクシーカレー”をカバーしたという情報がネットに流れていた。

twitter.com

大森さんは「ちょっと考えてみたんですけど、私の思う向井秀徳さんが歌っているさっちゃんのセクシーカレーやりますね。サビだけ。AメロBメロは普通に歌って、サビが向井秀徳さんになります」と言って演奏を始めた。とても文字では表現し切れないのだが、サビに入るとギターをガッと弾きながら力強く「セッ!セッ!」と何度か繰り返してから「セックゥシーカーレィー!ハッ!」といった感じで、多少誇張した感じの向井秀徳さんのモノマネをしながら歌っていた。似ているかどうかはともかく勢いがあって超絶面白く、僕はこの日一番笑ったと思う。

twitter.com

そして最後の曲を歌おうとした時になかなかメロディーが出て来ず、「やーわーらーかー…いー未来をー目指してー♪」と田村直美さんの“ゆずれない願い”になってしまったりしながら、きちんと軌道修正して“歌謡曲”を歌い、配信終了後の30人のためだけのライブは10分ほどで終了した。

www.youtube.com

最後にステージで集合写真を撮ってからスタジオを後にし、再びエレベーターで下まで案内された。名残惜しいのもあって知り合いのファンの人達と建物の下でしばらくダラダラと話をしてから家路に着いた。ここには書かなかったが色々と思いがけない出来事もあり、ただただ夢のような時間だった。

最近これからの自分の人生と大森靖子という人の存在との関係性を考えることがある。今回の30人限定ライブは、そのことに少なからず影響を及ぼす特別な時間となったのは間違いない。