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僕がアナログシンコペーションを好きな理由

2017年3月15日、“超歌手”を自称するシンガーソングライターの大森靖子さんが、メジャーとしては3枚目のアルバム“kitixxxgaia”(キチガイア)を発売した。恥ずかしながらまだアルバム全体を十分に聴き込めていないのだが、現時点ではっきり言えるのは、このアルバムの一番最後(ボーナストラックがあるバージョンでは最後から2曲目)に収録されている“アナログシンコペーション”という曲がとても好きだということである。今僕が音楽を聴く時はアナログシンコペーションに始まりアナログシンコペーションに終わると言ってもいいくらい、この曲を繰り返し聴いている。ちなみに、僕のTwitterの大森さんファンを中心とするタイムラインでも、この曲に心奪われている人をよく見かける気がする。なぜこの曲がそこまで人を惹きつけるのか、頭の中で考えていてもすんなり答えが出ないので、この機会にブログを書きながら考えてみることにした。アルバム発売から一週間以上が経ち、既に多くの人がこのアルバムについての感想や考察を綴っていて、今から僕があれこれ書くのは遅きに失した感があるものの、あえて自分なりの考えを、それもただ一曲だけについてひたすら書いてみたいと思う。なお、僕は今回のアルバムに関する大森さんのインタビューやファンの方のブログなどを追い切れていない状態でこれを書いているので、認識不足があったり書いていることが被ったりしているかもしれないという言い訳をしておく。

まず、僕がこの曲を初めて聴いたのは、2月28日に開催された大森さんのファンクラブイベント“大森靖子の続・実験室 vol.26”で、このイベントでは毎回後半にギター弾語りでのライブが行われるのだが、この日のライブで新曲として初披露されたのがアナログシンコペーションだった。初めて聴いた印象は、シンプルながらも良いメロディーで、サビの言葉を畳み掛けるところが聴いていて気持ち良い、といった程度で大まかな全体像を捉えるので精一杯だったが、無性に心がじんわり熱くなるような静かな感動があった。それは、昨年9月に大森さんが“生ハムと焼うどん”という2人組女性アイドルと新宿LOFTで行なった2マンライブで、“オリオン座”を新曲として初披露したのを聴いた時の感覚に似ていた。

その次に聴いたのは、3月4日に鹿児島の鹿屋で開催された“大森靖子とKANOYA MUSIC FREAKS”という、地元の女子高生シンガーソングライターの藍さん、ラッパーのDOTAMAさん、そして大森さんという面白い組み合わせでのライブだった。

この日の大森さんのライブも弾語りで、ギターを抱えた大森さんが会場内を縦横無尽に動き回って地元の人達に絡みまくるという、この日にしか生まれ得ない良いライブだったのだが、そのライブで2度目のアナログシンコペーションを聴いて改めて感銘を受け、「しばらくこの曲を聴くためだけにでもライブに通いたい」とライブ終了後に知り合いのファンの方に熱く語ったのを覚えている。

そして3回目に聴いたのは、3月6日にヴィレッジヴァンガード渋谷宇田川店で開催された「kitixxxgaia」のリリースイベントだった。

この日は“kitixxxgaia”の音源を流しながら大森さんがそれに被せて歌うというカラオケ方式のライブで、ニコ生での配信も行われた。この日の会場となったヴィレッジヴァンガード渋谷宇田川店はこの3月をもって閉店することになっており、大森さんは間も無く最後を迎える店内をなるべく映像に収めておこうとするかのように、終始動き回りながら歌っていたのが印象的だった。大森さんは商品をネタにして笑いを取ったり、お客さんとデュエットしたりと自由奔放なライブでとても楽しかったのだが、それと同時に初めてアルバム全体を通して聴きながらジェットコースターのように感情が揺さぶられるのを感じていた。それは何年かに一度あるかないかの感覚で、ライブ中ずっと「このアルバムは凄い」と心の中で呟いていた。この日のライブを見たことによって、僕が知る限りでは今日本で一番面白い音楽をやっているのは大森さんだと確信したと言っても過言ではない。そのライブの終盤では、もちろんアルバム収録曲であるアナログシンコペーションも披露され、大森さんはアルバムの音源をバックに体を大きく揺らして手振りを交えながら歌っていて、ギター弾語りの時とはまた違った感情の高ぶりを感じさせられるパフォーマンスだった。

今のところアナログシンコペーションをライブで聴いたのはその3回で、後のリリースイベントやライブは仕事で予定が合わず行けていないが、Twitterを見ているとその後もこの曲は毎回セットリストに組み込まれているようである。そして驚いたのは、ラジオか何かだったと思うが、大森さんが今回のアルバムの中で少なくとも“ドグマ・マグマ”とアナログシンコペーションの二曲を聴いてもらえれば言いたいことは全て伝わる、といった趣旨の発言をしたのである。ドグマ・マグマは間違いなく今作のテーマソングといえる壮大なスケール感の楽曲であり、Music Videoも絢爛豪華な作りでとても力を入れているのが分かる。

www.youtube.com

大森さんの発言を聞くまでは、アナログシンコペーションがそんなドグマ・マグマと並ぶ重要な位置付けの曲だとは思っていなかったので、アルバムを手に入れてからはすぐさま歌詞カードでアナログシンコペーションの歌詞を何度も読み込んだ。歌詞はゆったりとした3拍子のリズムに乗せて次のように始まる。

 

あのステージへ続く光の道 眩しくて足元よくみえない

つまずいたあの日の石を拳に握りしめて強く歩いてきた

 

まず始めに「ステージ」というワードが出てくる。アルバムの一曲目を飾るドグマ・マグマの冒頭で大森さんが「感情のステージにあがってこい」と言い放つのだが、この最後の曲で再び同じ単語が使われている。ただし、ここでいう「あのステージ」とは「感情のステージ」のことではなく、それを越えたもっと先にあるステージを意味しているように思われる。僕が大森さんを好きな理由の一つとして、常に現状に満足せず、ストイックに上へ上へ行こうとする姿勢を感じるという点がある。「あのステージ」とは、そんな大森さんが目指している更なる高みを指しているように思えてならない。また「あのステージ」へ続くのは、足元がよく見えないほどの眩しい「光の道」だが、そこには多少の不安がありつつもそれに勝る希望が存在しているように感じられる。

続く歌詞では、これまでの道のりが決して平坦ではなかったこと、そしてその障害をきちんと自分の糧にしてきたという大森さん自身のこれまでの生き方に対する自負を示しているようである。大森さんは今年、歌手活動10周年を迎える。大森さんの“音楽を捨てよ、そして音楽へ”という曲に「全力でやって5年かかったし、やっとはじまったとこなんだ」という歌詞があるが、昨年行われた全国ツアー“TOKYO BLACK HOLE TOUR”の大森さんの地元である松山での凱旋公演で同曲を歌った際、歌詞の「5年」を「10年」と言い換えて歌ったということがあった(ごく最近のライブでもそのように言い換えて歌ったというツイートを見かけたような気がする)。アナログシンコペーションの最初の2行の歌詞は、10周年という節目の年に改めてそのことを歌ったものではないだろうか。ここから曲は転調して力強く加速していく。

 

みんなからは私が汚く

私からはみんなが美しく光ってみえる呪いを

こんな石は捨ててしまおうか

ただ私のかなしみはこの世界の犠牲ではなくて

それ自体が喜び

 

大森さんは“呪いは水色”という曲で、人が生きていく上でどうすることもできない運命や業などを「呪い」という言葉で表現しており、ここでも自分の劣等感のことを「呪い」と言い表している。その「呪い」=「石」を捨ててしまいそうにもなるけれど、その「かなしみ」を「喜び」と捉え、さらに続く歌詞でその「喜び」=「Joy」に対して「ur (you’re) my friend」と呼びかけている。これは大森さんが音楽活動の一つのテーマとしている“肯定”そのものに他ならない。

entertainmentstation.jp

 

Hey Joy, ur my friend

平常に生きてる

少女は掌握してる 嫉妬してる

透明衝動

未来都市線 夜は飛行機雲みえない

重ねてよ アナログシンコペーション 美学を

あなたとの違いを シンコペーション

 

この辺りから小気味よく韻を踏みながら歌詞が続いていくのが聴いていて気持ち良い。僕はナンバーガールというバンドが好きで、初披露の時からそのバンドの曲名である「透明少女」と言っていると思い込んでいたのだが、歌詞カードを見たら正しくは「透明衝動」で、聞き間違いをしていたことが分かった。ただ、その前の歌詞で「少女」という単語が使われているので、もしかすると大森さんは意識したのかもしれないし、単なる偶然かもしれない。

その次の「未来都市線」という言葉は、一見響きの良さだけで使われているようにも思えるが、実はここにこの曲の主題が含まれていると思っている。それについてはまた後ほど書くことにする。そしてサビの最後の歌詞では曲のタイトルが用いられている。僕は音楽の専門知識がある訳ではないので、色々と「シンコペーション」について調べた結果、リズムをずらして演奏する手法の一つ、というところまで理解できた。それを踏まえて歌詞を読むと、「私」と「あなた」のリズムを合わせる必要はないし、寧ろ合わせてしまうと単調でつまらない音楽に成り下がってしまう、つまり、誰かと違った美学を持っていていいし、それを無理に変える必要はなく、そのままでいていい、という先ほどと同様の“肯定”のメッセージが込められていると解釈できるのではないかと思った。

なお、この歌の主人公は自分のことを「私」と呼び、相手のことを「あなた」と呼んでいる。前回のアルバム“TOKYO BLACK HOLE”の表題曲では、登場人物は「僕(ぼく)」と「君」だったが、僕の中でこの二人は実在しない架空のキャラクターだというイメージを持っている。一方で、今回の「私」は、歌詞を読めば読むほど大森さん自身のことを言っているのではないかと思える。ただし、大森さんが“マジックミラー”で歌っているように、ここでいう「私」は大森さんを鏡として写し出されている僕たちであるかもしれない。

サビが終わると、曲は再び転調して3拍子のリズムに戻る。音源ではこの時に大森さんが小さく「あっ」と言う声が入っていて、大森さん自身がこの転調についていけずに躓いているかのようだ。この繰り返される転調も、先ほどの「リズムを合わせる必要はない」という意味を曲の構成自体にも込めたものではないか、というのは深読みしすぎだろうか。

 

このステージで掴む きらきら星は

掴んだ瞬間に 消えてしまうの

愛は生まれすぎる 歌ってもまだ

人生を食べては また生まれる

 

ここで再び「ステージ」という言葉が出てくるが、「このステージ」は今大森さんが日々立っている「感情のステージ」のことだろう。僕もここ一年間で大森さんのライブをそれなりに見る機会があり、正に「きらきら星」を掴む瞬間に何度か遭遇した。その輝きはライブが終わるとあっという間に消えてしまうものだが、僕がライブに通うのはその「きらきら星」を掴む瞬間に立会うためである。昨年の夏フェスや全国ツアーでの大森さんのライブを見ながら、これをもっと多くの人に見てもらいたいと強く思ったことを思い出す。そしてこの辺りから歌詞に「愛」という言葉が一つのキーワードとして出てくる。曲は再び転調してテンポを上げていく。

 

甘いショートケーキが倒れて

だらしない形でも 美味しいなんて 嫌なの完璧じゃない

こんな愛を捨ててしまおうか

使い方次第で ひとつの世界を終わらせてしまう

形ない核兵器

 

このショートケーキの歌詞は女の子目線のようだが、男の自分でもこの気持ちはよく分かるし、誰しもが持つ「拘り」や「拗らせ」の部分を絶妙に描写していると思う。そんな拘りが衝突を引き起こしたり、拗らせが修復不可能なほどに悪化したりして、「こんな愛を捨ててしまおうか」とさえ思うことや、そんな愛が「使い方次第で ひとつの世界を終わらせてしまう」こともあると歌っている。ここでいう「ひとつの世界」とは、歴史的には愛が文字通り一つの国を滅ぼしたこともあるが、ここではあくまでも一人一人の人生や生活のことだと思う。そして、愛は時に人一人の世界を終わらせてしまうほどの破壊力を持つ「形ない核兵器」になり得ると言っている。「終わらせてしまう」というのは、精神的な意味においてだったり、実際的な意味においてだったりするだろう。ただし、それは裏を返せば、愛は使い方次第で自分の世界を守ることができる、何にも勝る強力な武器になるということを意味しているのだと思う。ここから曲は再びサビに入る。

 

Hey Joy, ur my friend

平常を創ってる

ルールは掌握して スルーしてる

透明衝動

未来都市線 夜は飛行機雲みえない

重ねてよ アナログシンコペーション 美学を

あなたとの違いを許せずに 向き合うことに疲れたなら

同じあの光のなかで同じ夢と向き合って

それぞれ音をならそう

 

1回目のサビでは「あなたとの違い」を受け入れることができていた「私」が、2回目には許すことができなくなっている。さっきとは別の部分の「違い」なのかもしれないし、同じ「違い」だが「私」の気分や考えが変わったのかもしれない。人はみんな違っていて当たり前と頭では理解していても、それでいついかなる時も相手の全てを受け入れられるほど人は単純にできていないし、昨日許せたことも今日には許せなくなることだってあると思う。そこで大森さんは、そんな時には向き合い方を変えてみるといい、という新しい視点を提示してくれている。そして、ここでいう「あの光」は冒頭の「光の道」であり、「夢」は「あのステージ」のことだろう。「私」と「あなた」は「あのステージ」という同じ「夢」を共有していることが分かる。落ちサビを抜けて、曲はクライマックスに入る。

 

混沌から未来を絞り出す どでかいひみつきち

Hey Joy, ur my friend

平常に生きてる

少女は掌握してる 嫉妬してる

透明衝動

未来都市線 二本の飛行機雲重ね

キチガイアナログシンコペーション

個性を重ねてよ アナログシンコペーション

キラキラ

 

ここで出てくる「混沌」は足元がよく見えないほど眩しい「光の道」であり、そこから「未来を絞り出す」ことは「夢」である「あのステージ」を目指すことである。そして、そのための「ひみつきち」は「私」と「あなた」の二人だけの小さな秘密基地ではなく、「どでかいひみつきち」である。つまり、ここまで「私」と「あなた」は二人の登場人物として描かれていたと思っていたが、実は「私」が向き合っている「あなた」は一人ではなく、「あなた(たち)」=「みんな」だったということだ。「私」と「みんな」の「どでかいひみつきち」、それこそが「キチ(基地)ガイア(地球)」である。「私」と「みんな」で「あのステージ」という「未来」の「夢」を目指すための歌、それがアナログシンコペーションという曲なのではないだろうか。ただ、大森さんは決して「みんな」との関係を一対多と捉えているのではなく、一対一×多であろうとしている。1回目、2回目のサビでは「夜は飛行機雲みえない」と言っていたが、最後のサビでは「二本の飛行機雲重ね」と言っている。あくまでも「私」と「あなた」を一対一の関係として捉え、「二本の飛行機雲」を、「個性」を重ねていこうとしている。

曲の最後は大森さんが儚げな、ただし力強い声で「キラキラ」と繰り返し歌って終わる。実はボーナストラックが入っているバージョンではとある仕掛けが施されており、僕はそれを知ってから曲の最後の部分について自分なりの解釈をしているのだが、あえてそれはここには書かないでおこうと思う。

これまで大森さんは過去や現在における風景や感情を鮮やかに切り取って歌ってきた人だ。それが打って変わって、アナログシンコペーションでは今までにないくらい「未来」や「夢」を歌っている。大森さんが過去の記憶や現在の現実から未来の夢へ目を向けて希望を託したこと、それがこの曲において福音のように鳴り響いていること、それが僕がアナログシンコペーションを好きな理由なのではないかと思った。

 

なお、このブログを書いている週のオリコンのウィークリーCDアルバムランキングで、“kitixxxgaia”が初登場10位にランクインした。大森さんにとって歴代最高位である。

www.oricon.co.jp

大森さんはその結果を受けて次のようなツイートをしている。

「私の美学で孤独も自由も肯定し尽くして、個性を重ねるのが容易い世界」をつくること、それが大森さんが目指す「あのステージへ続く光の道」なのかもしれない。