大好きなあなたへ

2020年12月4日の金曜日、その日はコロナ禍ですっかり慣れた在宅勤務で、朝から立て続けにリモート会議があり慌ただしかった。昼頃にようやく一息つくことができたので休憩がてらTwitterを開くと、まずZOCのメンバー脱退の情報が目に飛び込んできた。そして、その後すぐに大森靖子さんの「青柳カヲルについてのお知らせ」というLINEブログのリンクが貼られたツイートが流れてきた。

すぐに嫌な予感はしたが意を決してリンクを開くと「青柳カヲルが亡くなりました」という文章が目に入った。スクロールしてブログの続きを見たが、その後の内容はほとんど頭に入ってこなかった。あまりに唐突過ぎて、ショックを受けるのを通り越して冷静な怒りのような感情が湧いてきた。真っ先に思ったのは「バカだな」ということだった。それと同時に、彼女とはもう2年近くまともに顔を合わせていなかったので、まるでゲームの中で起こったイベントの話でもされているようで、とにかく現実味がなかった。

彼女と初めて言葉を交わしたのは確か2017年9月のBAYCAMPの時(その前にも一度、大森さんの実験室というファンクラブイベントで見かけたことがあった気がする)で、その時は彼女に大森さんの物販の場所か何かを尋ねられて教えてあげたという程度の会話だった。その後にTwitterを見ていると青柳カヲルさんがBAYCAMPに行っていたと思われるツイートをしていて、物販の場所を尋ねてきた彼女は一人で来ている様子だったこともあり、直感的にあの人が青柳カヲルさんだろうか、と思った。その翌月に渋谷のWOMBで開催されたTOKO-NATSUというイベントに行った時に、そのイベントのトリだった大森さんのライブが終わって帰ろうとした時、フロアの後方で談笑している彼女を見つけた。彼女はごっちんさんと二人で話していて、僕はそこに加わって彼女に自己紹介をすると「知ってますよ」と笑いながら言われてビックリしたのを覚えている。その流れで僕が「もしかして青柳さんですか?」と単刀直入に聞くと、彼女はその場では答えてくれなかったが、解散した後に「当たり」とDMで教えてくれた。彼女は関係者以外に対しては別の名前を名乗っていて、その時に彼女のことを青柳カヲルだと知っている人は僕ともう一人だけだと言っていた。それから大森さんの現場で一緒になった時などに二人でご飯を食べたりするようになり、次第に仲良くなっていった。この1,2年はどうだったか知らないが、僕とよくご飯を食べに行っていた時の彼女は大森さんへのガチ恋を拗らせていて、おっさんヲタは愛されていて羨ましいとやきもちを妬いていた。僕から見ると彼女は誰よりも大森さんから信頼されているのに、彼女自身は全然自信がなくて、僕はいつもそんな彼女の話を面倒くさくて面白いなぁと思いながら聞いていた。他にも彼女は表には出さない色々な悩みを抱えていて、僕はそんな彼女の器用に生きられないところをひっくるめて好きだったし、彼女の絵の才能は別として、彼女の人間としての根元にあるものが僕と似ていると感じていたので、一緒にいて居心地が良かった。僕が自暴自棄になって塞ぎ込んでいた時にも、彼女には一番心を許していたし、彼女も頻繁に会って話をしてくれた。彼女はいつでも優しくて、それは彼女の生来の性格であったと思うが、誰かを傷つけてしまうことや誰かに傷つけられることへの恐れや怯えの裏返しでもあったのではないかと思う。それなのに僕は自分自身の卑屈さと未熟さのせいで彼女を傷つける行動を取ってしまい、それからお互いに連絡を取ることはなくなった。

その後も彼女は大森さんのために絵を描き続けていて、一方の僕はしばらくの間、彼女の絵を見かける度に心がチクリと痛むように感じて正視することができなくなっていた。Twitterの青柳カヲルのアカウントもミュートして、彼女のツイートを一切目に触れないようにしていたほどだった。それでも僕は密かに、いつか彼女にきちんと謝って、また友達として関係を築き直したいという想いを抱いていた。そのためには、まず僕は僕の仕事を頑張って、もっと自分で自分のことを認められるようになって、胸を張って彼女に会えるように成長しないといけないと思っていた。そんな折、今年のコロナ禍は自分にとって本当に大事なものが何かを見つめ直す機会になり、幸か不幸かライブに行く機会が減った分、仕事に専念できるようになったことで最近は大きな仕事も任せてもらえるようになって、ようやく人間未満から人間並み位にはなれてきたのではないかと思えていたところだった。たまに彼女の絵が目に触れることがあっても以前ほど心が騒ぐことはなくなってきたし、タイミングが合えば彼女と話したいとまで思えるようになっていた。だから彼女が亡くなったことを知って、急に目標を失ってしまったように感じてしまい、その日の午後に仕事をしながら「何のために頑張ってるんだっけ」と不意に虚しくなる瞬間があった。

「いつか」「タイミングが合えば」のまま何も果たせなかった僕は、2年近くも会っていない彼女の死を絶対に今さら自分のせいだとか、自分なら何とかできたかもしれないとか思いたくないし、だから涙も流したくないし、悼むことすらしたくないと思った。でも最後に彼女から「いつか」じゃ遅いということを教わって、自己評価が低いくせにいつも天邪鬼で、なかなか素直に行動できない自分をなるべく変えていきたいと思った。あと、あれだけ一緒にいたはずなのに彼女と撮った写真が一枚もないことに気付いて、ごっちんさんの時も辛うじて他の人が撮った写真が数枚残っていただけだったので、写真嫌いなところもいい加減に直したいと思った。その日は気を紛らわせるように夜遅くまで仕事をして、それからABEMAのZOC特番を見た。そこで大森さんにとっても大森さんのファンにとっても長年の念願で待ちに待ったであろう日本武道館でのライブが発表されたのだが、それも夢の続きで起こっている出来事のように感じて実感が湧かなかった。

一夜明けて、時々じっと体が固まって動かなくなってしまうのを奮い立たせて活動しながら、ふと昨日あまり内容を飲み込むことができなかった大森さんのブログを読み返した。すると丁寧に綴られた文章へ込められた大森さんの想いの質量を感じて、初めてボロボロと涙が溢れ出た。「あーあ、結局泣いちゃったよ」と思った。その後も彼女との思い出が断片的に頭に思い浮かぶ度に涙が出てきて、ある時に僕が普段はそんなことを言わないのに思い切って「〇〇さんと会えてよかったです」とLINEで送ったら、彼女が「私もナガイさんに会えてよかったです」と返してくれたことを思い出した時には、号泣して涙と鼻水が止まらなくなってしまった。まだ心のどこかで彼女の死を受け入れられていないのに、次から次へと涙が出てくるのが不思議だった。

それで僕は僕の知っている彼女のことや彼女への想いを書き留めておきたいと思い立って、今このブログを書いている。ごっちんさんの時にこうした追悼ブログを書くのはもうこりごりだと思ったけど、僕は大事な人と共有したかげがえのない時間や気持ちがなかったことになってしまいそうなのが恐くて、書かずにはいられなくなってしまう。つくづく女々しくて湿っぽい人間だと思う。きっとまた好きな人が死んだら、僕はこうやって好き放題にあることないこと書いてしまいそうなので、もう誰も死なないでほしい。僕はあなたを助けてあげることはできないから、せめて自分の命は自分で、全力で守ってほしい。

いつの日か僕がそっちに行く時は、必ず最初にごめんなさいを言いに行きます。もしそれで許してもらえたら、またお互いの拗らせ話をしながら笑い合いたいです。でも僕はこっちの世界でようやく夢や希望を抱けるようになってきたばかりだし、これから大森さんが美しい世界を作るのを見届けないといけないし、まだまだ生き尽くし足りないと思っているので、あと何十年か後まで待っていてください。それまでしばらくの間、さようなら。ゆっくり休んでください。

P.S. いつか再びあなたと向き合えるようになったら飾ろうと思って仕舞っていた絵を、「いつか」じゃ遅いから、今日から飾ることにしました。僕の誕生日にオークションに出品されていた絵です。

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誕生日といえば、つっち〜であなたを含めた何人かで僕の誕生日を祝ってくれたこともありました。あの時は花束をもらった時の藍染カレンさんみたいなリアクションしか出来なかった気がするけど、とても嬉しかったです。

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他にもたくさん特別な時間を共有してくれて本当にありがとう。今日の朝は空気が冷たくて、正月の初詣に付き合ってくれた日のことを思い出しました。

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いつも優しかったあなたのこと、勝手かもしれないけれど、ずっと大好きです。