ニック・ドレイクと大森靖子と僕

f:id:nagai0128:20180311121459j:plain先日友人が家に遊びに来た時、僕の部屋の一角にある“神棚”に興味を示していた。“神棚”と言っても僕がそう呼んでいるだけで、僕が最も好きなミュージシャンの人達のサインやレコードなどを飾っているスペースのことだ。自分の好きなものに興味を持たれたのが嬉しく、ついレコード一枚一枚の紹介を始めてしまい、友人が帰った後も「さっきのミュージシャンだけど、このアルバムから入るといいよ!」的なことを長文で送りつける始末だった。

その時におすすめした中の一人がイギリス人ミュージシャンのニック・ドレイクだ。ただし、彼は既にこの世におらず、40年以上前に26歳という若さで亡くなっている。彼は生前に3枚のアルバムを発表しており、芸術に対して“完璧”という言葉を使うのは不適切な気がするが、強いてこれまでに僕が“完璧”だと思った音楽を挙げるとすればその3枚を挙げる。それぞれのアルバムは一枚ずつだけでも十分素晴らしいのだが、僕はいつも3枚を通して聴くことで、彼がいかに繊細で稀有な才能の持ち主だったか、音楽に希望と絶望を託していたかが少し分かるような気がする。冒頭の友人におすすめしたのはもちろん3枚全てのアルバムだ。

彼の人生について書かれた文章は山ほどあるので、ここでは要約して書くことにする。彼は1948年にビルマで生まれ、まもなくしてイギリスへ戻る。通っていた学校で首席となったり陸上の記録を作ったりするような少年で、やがてケンブリッジ大学へ進学する。彼は13ポンドで手に入れた初めてのギターで曲を書き始め、20歳の時にその才能を見出されてレコード会社と契約し、1969年にデビュー作「Five Leaves Left」を発表する。一曲目の“Time Has Told Me”のイントロのギターの音色と“Time has told me”という歌い出しだけで一気に彼の音楽の世界へ引き込まれる。アルバムの前半は空一面を厚い雲が覆うようなダークで緊張感のある曲が続き、中盤の“‘Cello Song”以降は雲の切れ間から陽の光が差し込むような暖かさを感じる曲が多くなり、聴き終えると得も言われぬ感動の余韻が残る。決してキャッチーではないが、傑出したデビューアルバムに違いないと思う。しかし当時は評論家やメディアでの評判は高かったものの、セールスは振るわなかったようだ。同様の事がこの後にリリースされた2枚目、3枚目のアルバムでも続くのだが、このエピソードを思い出したことがまさに僕が今回のブログを書こうと思ったきっかけになっている。なお、「Five Leaves Left」(残りあと5枚)というタイトルは、当時の手巻きタバコの最後から5枚目の巻紙に印刷されていた言葉から来ている。彼がこれをタイトルに採用した理由は不明だが、彼はこのアルバムを発表した5年後に亡くなっており、まるでその後の自分の運命を暗示していたかのようである。

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彼はプロモーションのためにフェアポート・コンヴェンション(バンドメンバーに彼の才能を最初に発見した人物がいた)などと共に、ライブに出演したりツアーに参加したりしたが、会場は熱心にステージを見る客の少ないイギリスのパブが中心だったため、彼にとっては苦痛でしかなく、二度とツアーをしようとはしなかったようだ。そして彼はケンブリッジ大学を中退してロンドンに引っ越し、1970年にレコーディングを行い発表したセカンドアルバムが「Bryter Layter」である。一曲目の“Introduction”はキラキラしたギターの演奏にストリングスが加わった美しいインスト曲で、冒頭から「Five Leaves Left」とは違ったアプローチを試みていることが分かる。その後もアルバム全体を通じて、前作にはなかったサックスやフルートといった楽器や女性のバックコーラスなどを用いた色彩豊かなアレンジが施されており、広く受けられやすいポップ・アルバムとしての試みは十二分に成功していると思う。ところが、これだけ一聴して優れた作品だと分かるアルバムであるにも関わらず、当時のセールスは1万5千枚ほどで、彼はそのことに失望してロンドンから実家へ戻ってしまったという。

その後、彼は精神科医にかかり抗うつ剤を飲むようになるほどの状態だったようで、そんな中でレコーディングを行い、1972年にリリースしたのが3枚目にして最後のアルバム「Pink Moon」である。30分足らずのこのアルバムはたった二晩で録り終えたという。一曲目の“Pink Moon”でピアノが使われている以外、演奏は全て彼のギターのみである。前二作と打って変わってアレンジが排された今作を聴いて感じるのは、圧倒的な孤独だ。まともに話すこともできなくなっていたという彼の音楽は究極まで削ぎ落とされており、触れたら崩れてしまいそうなほどに脆くて美しい。僕はそれに向き合う度に言葉を失い、只々彼の音楽を静かに受け止めることしかできなくなる。しかしながら、彼が自分の命と信念を限界まで振り絞って作ったであろうアルバムですらも、当時は満足のいく評価を得られなかったようだ。

そして1974年11月25日、彼の母親が朝食をどうするのか聞きに彼の部屋に入ったところ、ベッドの上で冷たくなっている彼を発見した。抗うつ剤の服用が原因とされているが、それが自殺か事故かは分かっていない。彼の最後のアルバムである「Pink Moon」の最後に収められているのは“From The Morning”という楽曲で、彼の死が発見されたのが朝だったというのも、音楽に希望を見出そうとしながらも運命を翻弄された彼らしい因縁のようなものを感じてしまう。

これまで書いてきたように、彼の音楽は生前(少なくとも彼が満足する水準では)評価されなかったが、彼の死後になってその評価は大いに高まった。なお、彼の音源はYouTubeに上がっているが、そのリンクを一切貼っていないのはCDでもデジタルでもいいので課金してアルバムを通して聴いてもらいたいからである(ニック・ドレイク本人にお金が入る訳でもないのでYouTubeでもいいのだが、途中途中で広告が入る聴きづらいものしか上がっていないのでおすすめしない)。

さて、僕は現代のミュージシャンの中にもニック・ドレイクのような繊細で美しい魂を感じる歌手がいる。それが大森靖子さんだ。大森さんがこれまで発表してきた楽曲は弾語りからバンドサウンドのものまで幅広いが、直近では昨年9月に弾語り主体のアルバム「MUTEKI」をリリースしており、先月YouTubeの東京都公式動画チャンネルで映像が公開された最新曲の“東京と今日”も大森さんの歌とギターのみの弾語り曲だ。

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シンプルな弾語りだからこそ大森さんの優しさと激しさを併せ持った歌声が際立つ素晴らしい曲であり、何より惹きつけられるのは歌詞の普遍性とそれゆえの多義性だ。大森さんは他のミュージシャンに例えられたり比較されたりするのを嫌うかもしれないが、この曲を聴いて感じる研ぎ澄まされた才能と美学は僕にとってニック・ドレイクを想起させる。ただ残念なのは、この曲の存在がまだほとんど世間に知られていないということだ。動画が公開されてから間もなく1ヶ月という現時点で、再生回数はようやく5万回に到達しようかというところだ。もっとずっと多くの人に知ってもらうべき曲だと思うし、こういった部分まで生前に評価されなかったニック・ドレイクと重なってしまうのは寂しい。

僕はニック・ドレイクが生きていた時代にまだ生まれてもいなかったので、彼が生きている間に真っ当な評価を得られなかったことについては過去の事実として黙って受け入れるしかないと思えるが、今リアルタイムで同じ時代を生きている大森さんについて同じことを考える時はそう思わない。大森さんの二つとない素晴らしい音楽は大森さんが生きている間にきちんと評価されてほしいし、それによって大森さんが自分のやってきたことの正しさを実感してほしいと思う。仮に大森さんの音楽が生前に評価されず、50年後100年後に大森さんの音楽を聴いた人が、生前は評価されなかったなどと言いながら大森さんの音楽を愛でるのを想像するだけで腹が立つ。大森さん自身がもっと自分の音楽は評価されてもいいはずだと歯がゆい思いをしているのも感じるので、余計にそう思う。

つい2週間ほど前の2月27日、Zepp Tokyo銀杏BOYZ大森靖子の2マンライブが行われた。銀杏BOYZ峯田和伸という人物に対する大森さんの思い入れは知っているし、この日のライブに並々ならぬ意気込みをかけているのは分かっているつもりだったが、僕が見たステージ上の峯田さんと大森さんが音楽に託すそれぞれの人生と二人の関係性はあまりに美しく、眩しく輝いていた。それを見た僕は自分の生き方にきちんと向き合えていないことについて問われたようでショックを受けてしまい、ライブ後しばらく精神的に不安定な状態になってしまったほどだ。つい先日、この日の“駆け抜けて性春”のライブ映像が公開されたが、これは先攻の大森さんの出番の冒頭にサプライズで峯田さんが登場し、会場全体が爆発するような盛り上がりを見せたハイライトシーンの一つだ。この動画だけでもこの日のライブがいかに美しいものだったか、その一端が分かると思う。

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この日のライブで大森さんは憧れの人と共演して全力でぶつかり合い認め合うことができたという形で、今までやってきたことが一つ報われたのだと思うが、僕はそんな大森さんに今度は大森さんの音楽がもっと売れるという形で報われてほしいと思っている。ここで言う“売れる”にはあまり具体的な意味を込めていないが、少なくとも届くべき歌が届くべき人に届くことを意図している。また、大森さんが“マジックミラー”で歌っている「あたしの有名は君の孤独のためにだけ光るよ」という歌詞は、大森さんが売れることでより意味を持つはずだと思っている。僕は大森さんにはニック・ドレイクのような“孤高の天才”で終わってほしくないし、国民的超歌手になってほしいと思っている。

だから僕は大森さんから感じるもっと報われたいという気持ちに、微力ながらライブに行ったりこうした文章を書いたりすることで向き合いたいし、それは同時に僕が報われたいからでもあるのだと思う。あとこれは我ながら拗れていると思っているのだが、僕が大森さんの現場に行き続けるのは、大森さんに「私には全通してくれるようなファンもいないから」という言い訳をさせないためでもある。僕は大森さんがもっと売れるためには、あとは大森さん自身が頑張るしかないと考えており、僕たちファンの役目は大森さんが頑張ろうと思える原動力になれるよう応援し続けることだと思っている。

個人的にニック・ドレイクのアルバムの中では最後の「Pink Moon」が最高傑作だと思っているが、大森さんについても、大森さんには死ぬまで最高を更新し続けてほしいと願っている。つまり、大森さんが死ぬ前に作る最後の作品が、大森さんにとっての最高傑作であってほしいということだ。そうすれば大森さんの音楽を一生好きでい続けることができるし、その最後の作品を聴くまで生きていたいと思えるからだ。

 

ちなみに、今回のブログのタイトルは、今月末に行われる向井秀徳と大森さんの2マンライブのタイトル「大森靖子向井秀徳とあなた」をもじったものである。僕は一度もライブを見ることなく解散したナンバーガールに対しては、また一言では説明できない拗れた思いがあるのだが、僕が向井秀徳を好きなのを知ってくれている大森さんがある時に「向井さんとも2マンしなきゃですね」と言ってくれていて、それをもったいぶらずに早々に実現させてくれたライブなのでとても楽しみにしている。

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