一生大森靖子

僕は後々まで残しておきたい気持ちや考えたことはブログに書くようにしていて、だからこの前のブログに書いたことも僕にとっては今でも大事な気持ちだし、なかったことにはしたくないと思っている。そして僕はまたいつまでも留めておきたい気持ちを記録しておくためにこのブログを書いている。

4月13日、14日に行われた大森靖子さんのファンクラブイベント「爆裂!大森靖子と逝くナナちゃんのお城!?猿ヶ京温泉お泊まり宴会ツアー★2日間」(以下、バスツアー)へ参加してきた。僕はバスツアーへ参加することを決めてからしばらくの間、本当に参加していいのだろうかという不安に何度も襲われて、もしかしたらバスツアー当日になったら家から一歩も出られなくなってドタキャンしてしまうのではないかとすら考えた。僕はこれまで自分が抱えている欠落のせいで僕と関わった人達を傷つけてしまった自覚があり、僕はその罪のために幸せになってはいけない人間なのだという意識があって、のこのことバスツアーに参加しようとする自分を蔑視するもう一人の自分の視線に苛まれてきた。それでも結果的にバスツアーに参加できたのは、大森さんや大森さんファン仲間のみんなのおかげだ。

昨年10月~12月に行われた大森さんのクソカワPARTYツアーも佳境に差し掛かっていた頃、僕は自分が立っている場所以外の周りの地面が全て抜け落ちて、叫んでも誰にも届かない世界に一人取り残されたような精神状態だった。だからもう飛び降りるしか選択肢がなかったのだが、今思えば自分の周りの地面を叩き壊していたのは他ならぬ自分自身だった。12月9日のクソカワPARTYツアーファイナルの翌日に、誰にも吐き出せずに自分の中に溜め込んだ感情をブログでぶちまけて、もう救われなくていいからせめてこんなに孤独で寂しかったんだよってことを知ってもらおうとしたけど、それも今思うととても自己中心的で身勝手な行いだったと思う。そのすぐ後に大森さんが書いたブログを読んで、大森さんは僕について早々に心の整理をつけて気持ちを切り替えたことを悟ると途端に寂しくなった。でも全て自業自得だし、こうやって一人になることはもう慣れっこだったし、ただ元の状態に戻っただけだと自分に言い聞かせた。何人かの大森さんファンが心配して連絡をくれて、返信するタイミングを逸してそのままになってしまっていたり、飲みに行く約束をしてそのままになってしまっている人もいるけど、わざわざ連絡してくれる人達の優しさは素直に嬉しかった。もしかすると心配してくれながらも気を使って連絡するのを控えた人もいるかもしれないから、その見えない気遣いにも感謝したい。

年末のカウントダウンライブは既にチケットを取ってしまっていて、譲れる相手もいないのでそのままにしていた。大森さんのツイッターはこっそり見ていて、ある日カウントダウンライブのために手作りの物販を準備しているとツイートしているの見た。その物販の中には僕にとって特別な品物も用意されていて、大森さんはどういうつもりなのだろうと訝しみながら、きっと大森さんからの餞別なのだろうと思った。だから直前までは物販だけでも買いに行くつもりだったが、いざ大みそか当日になって、今日ライブに行くのはクソカワPARTYツアーでの自分自身の覚悟を裏切ることになるのではないかとか、せっかくの特別なイベントで僕の姿を見た人に少なからず穏やかでない気持ちにさせてしまうのではないかなどと考えていたら、身体が動かなくなってしまって結局行くのを止めてしまった。

年が明けてからは仕事もそこそこ忙しく、慌ただしく日常を過ごしていると気も紛れた。音楽は相変わらず好きだから、これからはもっと色んなアーティストのライブに行ったり新しいアーティストも発掘したりすれば何とか楽しくやっていけそうだし、大森さんのことはそのうち気にならなくなるだろうと思っていた。

1月15日、銀杏BOYZの武道館公演「世界がひとつになりませんように」を見に行った。一昨年の武道館公演に行かなかったことを後悔していたが、今回も仕事で行けるかどうか微妙だったので事前にチケットは買っていなかった。当日になって仕事を早めに切り上げられそうだったので、直前だったがツイッターでチケットを余らせている人を見つけて、何とかチケットを確保することができた。銀杏BOYZのワンマンライブを見るのは初めてだったが、僕が聴きたかった曲はほとんど全てやってくれたし、銀杏BOYZファンが見たかったものをきちんと全うしたであろうライブだった。ライブ中にボーカルの峯田さんがMCで、高校生の時に好きだったニルヴァーナカート・コバーンが亡くなって、その一週間後に自分のおばあちゃんが亡くなった時の話をしていた。自分の部屋で横になりながらニルヴァーナを聴いていると、家に集まっていた親戚があげている線香の匂いがしてきた記憶があって、今でもニルヴァーナを聴くと線香の匂いがする、音楽が生活に張り付いている、ということを言っていた。僕はそれを聞いて大森さんがクソカワPARTYツアーの時に流星ヘブンを歌う前のMCで似たことを言っていたのを思い出した。また別のMCで峯田さんは、これまでバンドを辞めようと思ったことが2回あって、そのうちの1回がレコーディング中に「やってらんねぇ」となって物をぶちまけてスタジオを飛び出した時で、タクシーに飛び乗って夜の環七を走りながら「バンドも終わりか」と思いながら窓の外を見ていたらラジオからRCサクセションのスローバラードが流れてきて、それに救われたという話をしていた。それを聞いてまた僕は一昨年のMUTEKIツアーの時に大森さんがMCで自分の曲に救われたと話していたのを思い出した。

僕は峯田さんのMCを聞きながら、峯田さんと大森さんは似ているなとか、大森さんにもこのMCを聞いてほしいな、などと考えていた。こうして思い返すと銀杏BOYZのライブなのに大森さんのことばかり考えていたことに気がつく。後でツイッターを見たら大森さんもこの武道館のライブを見に来ていて、しかもその後に続けて道重さゆみさんのサユミンランドールも見に行っていて、さすがだと思った。大森さんはいつも好きな人に対する愛をブレずに貫いていて、羨むようなことではないけれど羨ましいと思うし、それを出来ない自分のことを省みては意気消沈する。ライブの最後の方のMCで峯田さんが話していたことがあり、正確な言い回しを思い出せないので断片だけ書き取ったメモをそのまま載せておく。

 

一人の人も不倫カップルも余命一ヶ月の人もいるかもしれない

ライブを見てくれることが幸せ

またライブ見に来てください

どうにかして生き延びてください、どんな汚い手を使ってでも

 

このMCも大森さんと相通ずるところがあると思ったが、大森さんは流星ヘブンで「君が他界したあとも私の命は続く」とか、VOIDで「もしかしたらもう二度と会うこともない」と歌っているように、大森さんは誰かと関わることについて一見諦観を抱いているようでいて、実は誰よりも切実に人との関わりにおいて希望や渇望、憧れを抱いているのだと思う。それは大森さんが実際に感じてきたことなのだろうし、僕はそれを分かっていながら大森さんに対して断絶を味あわせるようなことをしてしまったのだと思うと、今も申し訳なさが込み上げてくる。

1月26日、一年前に亡くなった友人のごっちんさんの命日に一人で墓参りに行った。ごっちんさんのご両親がわざわざ新幹線の駅まで迎えに来てくれて、お父さんが車を運転してお墓のあるお寺まで連れて行ってくれた。風が強かったがよく晴れた日で、見晴らしが良く日当たりも良い小高い場所にごっちんさんのお墓は立っていた。ついこの前までクソカワPARTYツアーを一緒に回っていた気がするから、お墓の前で手を合わせるのは不思議な感じがした。今でもたまに僕はあの時ごっちんさんのために本当に最善を尽くせたのか、もっとごっちんさんのために出来たことがあったのではないかと考えることがある。考える度に答えは出なくて、答えが出ないままだから何度も繰り返し考えてしまうけど、その度にごっちんさんのことを思い出すことができるので、最近になってこれはこれでいいのかなと思っている。お墓参りを済ませた後、ご両親が家に招いてくれて、ごっちんさんの仏壇や遺品を見せてくれた。仏壇には大森さんのグッズが所狭しと並べられていて、まるでヲタクが作る推しの祭壇のようで不謹慎だけど面白かった。最新アルバムのクソカワPARTYやナナコレシール、大森さんの最近のインタビュー記事が載った本などもあって、ちゃんと超生きてヲタ活していてさすがだと思った。仏壇に手を合わせてから、しばらくの間ご両親と話をして、お父さんの昔の話やごっちんさんの子供の頃の話を聞いて、お父さんとごっちんさんは一度こうと決めたら自分の意志を貫くところが似ているなと思った。お父さんは大森さんについても熱く語っていて、うんうん分かる分かると思いながら聞いていた反面、僕はそんな大森さんを裏切るようなことをしてしまったのを思い出しては胸が痛んだ。帰りはまた車で駅まで送ってもらい、ご両親に来年も会いに来る約束をして新幹線で東京へ戻った。その日は中野で昼間から大森さんファン主催のごっちんさん一周忌の集いが行われていて、僕は大森さんファンの人達に会うのが気まずかったので行かないつもりだったが、やっぱり顔だけ出しておこうと思い直して中野へ向かった。夕方頃に会場へ着くと想像していたより多くの人でごった返していて、ごっちんさんがいかに多くの仲間に慕われていたかが分かった。ただ僕はこうした大勢の人がいる宴会の場が苦手なのと、やっぱり大森さんファンの人達と顔を合わせるのが気まずくなってしまい、早々に会場を後にしようとしたところを知り合いに引き止められて帰るタイミングを逸していた頃に、何の前触れもなく子供を連れた大森さんが会場に姿を現した。大森さんの登場に会場は騒然となって、すぐに大森さんの周りには人だかりができていた。僕はしばらくその場でじっとしていたが、結局その空間にいるのがいたたまれずに間も無くして会場を飛び出した。一人で電車に乗って帰りながら自分は何をやっているのだろうと惨めな気持ちになりながらも、大森さんが一年前にごっちんさんのお見舞いやお通夜に来てくれたように、今日もああやって一周忌の集いに足を運んでくれたことの意味をずっと考えていた。

1月31日、新宿LOFTで大森さんと来来来チームとの2マンライブがあり、僕はごっちんさんの一周忌での出来事もあり勇気を振り絞って見に行くことにした。僕はなるべく目立たないように入り口付近からライブを眺めていた。クソカワPARTYツアーファイナル以来の大森さんのライブは貴重な来来来チームとの共演も観れてとても楽しかったが、そのライブ中に大森さんがステージからほとんど見えないであろう奥の方にいた僕を見つけて笑いかけてくれたような気がした。その時は嬉しい気持ちよりも素直に喜べない、喜んではいけないという気持ちが勝ってしまい、ライブが終わるやいなや足早に会場を立ち去ってしまったが、大森さんが投げかけてくれた一縷の光は確実に僕の心の中にある何かを響かせていて、勇気を出して見に行ってよかったと思った。

それから間も無くして今年もバスツアーが開催されることが発表され、僕はほとんど衝動的に参加することを決めた。恐る恐る昨年のバスツアーで一緒の部屋に泊まったメンバーへ声を掛けたところ、しゅんくんとおおたけおさんが快く応じてくれて、今回は参加できない人もいたので新たなメンバーとしてどうしたってさんを誘った。僕が気にし過ぎていただけなのかもしれないが、みんな僕がバスツアーに参加することを当たり前のように受け入れてくれて、変に気を使うこともなく以前と変わらずにやりとりしてくれたのが嬉しかった。

でもそれからバスツアー当日に至るまでは良いことばかりではなく、僕はバスツアー当日にいきなり大森さんと対面するのが恐かった気持ちもあって、3月12~14日にお笑い芸人のやさしいズ日本エレキテル連合、ダンサーのrikoさんとの3日連続の2マンライブ「大森靖子伝承3DAYS 2卍LIVE“自由字架”」の初日の公演を見に行った。僕はその日も目立たないように後ろの方で見ようと思っていたのだが、会場だった伝承ホールはどの席もステージからよく見える作りになっていて、居心地の悪さを感じながら後ろの方の席に座った。その日はやさしいズとの2マンライブで、先攻のやさしいズの漫才とコントはとても面白く、生で見るお笑いの魅力を知れた良い機会だった。そして後攻の大森さんのライブが始まってから、やはりステージの大森さんから自分のことがよく見えることが無性に気になってしまい、今すぐ消えてしまいたいような気持ちになっていた。ライブの途中で大森さんが客席に降りて観客一人一人と目を合わせながら歌っている場面があって、観客の中には涙を流している人もいた。その光景があまりに美しく、後ろの席から見ていた僕はそれをあの世から眺めているような感覚だった。僕は大森さんが作るこの美しい世界に触れてはいけない、僕はここにいてはいけない人間なのだという気持ちに囚われてしまい、ライブの終盤には一刻も早くライブが終わってほしいという気持ちにまでなっていた。ライブ前は1日目が良かったら2日目と3日目も見に行こうと思っていたが、わざわざライブを見てこんな気持ちになるならやめておこうと思い行くのを止めた。やっぱり僕はもう元通りになることはできなくて、いっそのこと大森さんが僕の顔も名前もすっかり忘れてしまえば、何も気にせずにまた大森さんのライブを見に行けるのだろうかなどと考えた。

バスツアーに参加することを決めてからのおよそ2ヶ月間、すっかり怯えて縮こまってしまったが何とか大森さんを信じようとする自分と、もはや自分を否定することでしか自分を保てない自分とが刻々と入れ替わりながら、バスツアーの日が永遠にやって来ないのではないかと思うほど長く苦しい日々を過ごした。

3月24日の女川復幸祭に行こうと決めたのも直前のことで、ちょうど気持ちが前向きになれていた頃だったのと、女川はアイドルグループのBiSが好きだった2013年に初めて訪れてから思い入れがある場所で、女川復幸祭が今回で最後になるということも知って、せっかくの機会だと思い遠征することにした。女川を訪れるのは1年半振りで、初めて訪れた6年前は町のいたるところにまだ東日本大震災の爪痕が生々しく残っていたが、今は見違えるほど立派な町に生まれ変わっている。前回訪れた時に見て感動した新しい女川駅の駅舎もすっかり町の顔として馴染んでいた。復幸祭には町外からも多くの人が来ている様子で、震災を知らないであろう小さな子供達もたくさん見かけて、もうそれだけの時が進んだのだと思った。僕には想像が及ばない経験をしたであろう女川の人達が今こうして笑顔で暮らしているのを見て、その逞しさに改めて尊敬の念を抱くとともに生きる気力を分けてもらうことができた。大森さんはライブ前にファンの人達と触れ合っていたようだったが、僕はまだ大森さんと対面する勇気が無かったのでステージで行われるライブを見るだけにした。大森さんはライブ中のMCで、過去は記憶を捏造して変えられるけど、未来は今を一個一個積み重ねるしかないから、未来の方が変えるのは難しい、頑張って一個一個積み重ねて未来を作っていきたいものですね、という話をしていて、震災を経験した人達へも向けた大森さんらしいMCだと思った。過去の記憶を変えることもなかなか難しいことだと思うし、僕なんかは良いことも悪いことも忘れられずに引きずってしまうタイプだけど、あえてそう言い切る大森さんの言葉に励まされた人もいたかもしれない。また、未来を変えるのは難しいというのは言い換えれば未来は変えられる可能性があるということであり、女川の人達は過去における未来である今を復興という確かな形で積み重ねてきたはずだから、大森さんの言葉に共感した人も多かったのではないかと思う。

www.youtube.com

ライブが終わってからは容赦なく体温を奪う寒風に耐え切れず、すぐにちゃんあつさんとおおたけおさんと宮城の大森さんファンの人と一緒に女川を離れて仙台まで電車で戻った。宮城の大森さんファンの人におすすめの牛タンのお店を教えてもらい、ちゃんあつさんとおおたけおさんと一緒に晩御飯がてら食べに行った。牛タンを食べながらおおたけおさんとバスツアーの話をしている中で、おおたけおさんが大森さんから僕にバスツアーへ来てほしいというDMを受け取っていたことをこっそり教えてくれた。

バスツアーまで一週間を切った頃、夜遅くに仕事から帰ってくるとポストに大森さんのファンクラブから封筒が届いていた。早速封筒を開けてみるとバスツアーのしおりなどの書類一式が入っていた。しおりの表紙は大森さんの手描きのイラストで、内側のページにもいたるところに大森さんの直筆のコメントが書き込んであった。相変わらず大森さんはこういうしおり一つにも手を抜かない人なのだと再認識して、きっとバスツアーの内容も時間と手間を惜しまずに考えてくれているのだろうと思った。何より大森さん自身がとてもバスツアーを楽しみにしているのがしおりを読んで伝わってきて、僕もそれまでずっともやもやしていた気持ちが少し晴れて次第にバスツアーが楽しみになっていった。封筒にはバス車内でのトーク企画用のアンケートも入っていて、その中に「せいこちゃんに伝えたいこと」という項目があった。僕はその項目の回答欄に「ごめんなさい。そしてありがとうございます。」とだけ書いて、あとはバスツアー当日に伝えようと思った。

そしていよいよバスツアー当日、事前準備で必要だったプリクラをまだ撮れていなかったので、それを済ませてから集合場所へ向かったため到着がギリギリになってしまった。しゅんくんとどうしたってさんにお願いして買っておいてもらったパンを食べながら慌ただしくバスツアーがスタートした。バスツアーの1日目の夜に大森さんがホテルの各部屋を訪問するという企画があり、僕はその時に直接謝罪しようと思っていて、少なくともそれまでは大人しくしているつもりだった。バスがホテルへ向けて出発する前に、大森さんによるバスツアー開始の挨拶とオリジナルのティッシュとお菓子の配布が行われた。大森さんが前の席から順番にお菓子を配り始めて、僕は大森さんの目を見れないまま手を差し出してお菓子を受け取った時に、大森さんが急に「冷遇したの分かりますか?」と一部の人にしか分からないネタで僕をイジってきて、僕は「気付いてました」と答えたら大森さんは声を出して笑ってくれた。大森さんが大森さんなりのやり方で僕に気を遣ってくれたことが分かって、僕はまだ恐る恐るだが大森さんを信じてこのバスツアーを楽しもうと思った。行きのバスの車内では大森さんのカメラマンである二宮ユーキさん編集の秘蔵映像を流していて、僕が密かにリクエストしていた2つの映像を両方とも採用してくれていて嬉しかった。ホテル到着後は宴会の前に物販が行われ、大森さんから買ったものを直接手渡してもらうことができた。僕はこの時も大森さんを前にするとやはり萎縮してしまい、うまく話すことができなかった。バスツアーのメインイベントの一つである宴会ではプリクラ交換会や大森さんのカラオケライブなどが行われた。大森さんはカラオケライブで宴会会場を縦横無尽に動き回りながら歌っていて、ここ最近どんどん体のキレが増しているのと同時に激しい動きをしながら歌を歌うこともできるようになっているので、歌手として成熟しながら若返っているような感じだ。ライブも後半に差し掛かった頃、急にとある曲のイントロが流れて僕は戦慄を覚えた。僕はこの日ずっと借りてきた猫のような精神状態だったので、うまく切り替えることができずに席に座ったまま固まっていたところ、ふと目をやると近くに大森さんのマネージャーの山本さんと二宮さんが並んで立っていて、優しく微笑みながら僕を見てステージへ行くよう促してくれた。二人もきっと僕がしたことに対して良い気持ちはしなかったはずなのに、こうやって受け入れてくれる二人の懐の深さと思いやりにも背中を押されて、何とか席を立ってステージへ行くことができた。ただ案の定萎縮しっ放しで全く本領を発揮できず、せっかく貴重な時間を割いてくれたのに良いところを見せられなかったので、いつか必ずリベンジしたいと思う。

宴会が終わった後はバスツアー1日目の最後のイベントであるお部屋訪問に向けて、用意してきたネタの最後の準備に取り掛かった。僕たちの部屋では替え歌を披露するというネタを企画していて、バスツアー参加を決めた当初は僕が考えた構成と内容でそのまま本番に臨むつもりだったが、しゅんくんがダンスを踊れるということでわざわざ練習用の動画を撮って送ってくれたり、どうしたってさんも演出のアイデアを出してくれたり熱心に練習してきてくれたりして、おおたけおさんに至っては2曲分の映像を2か月も掛けて制作してくれた。みんなが積極的に関わろうとしてくれる気持ちだけでも嬉しかったのに、実際にはそれが自分たちとしても思いもよらないレベルの濃い内容のネタに仕上がったので、このメンバーに声を掛けてよかったと思った。特におおたけおさんにはこのネタに関してだけでなく色々と恩義があるので、言葉では言い表せないくらい感謝している。直前まで何度も繰り返し練習に励んだおかげで本番は無事にやり切ることができ、狙いどおり大森さんに「あと3回くらい見ないと把握できない」と言わしめることができた。ネタの替え歌の歌詞にはきちんとした思いを込めた部分もあるので、それも大森さんに伝わっていたら嬉しい。お部屋訪問については事前の告知で、面白かった部屋には翌日の朝に大森さんからモーニングコールをしてもらえることになっていて、結果として僕たちの部屋はモーニングコールをしてもらえる4部屋のうちの1部屋に選んでもらうことができた。

翌日の朝、予告どおり大森さんからモーニングコールが掛かってきて、一人ずつ順番に大森さんと話をした。僕がこの時に大森さんに伝えようと考えていたことは一つだけで、というより僕が今回のバスツアーに参加しようと思ったのも、お部屋訪問のネタを一生懸命考えたのも、全てその一つの想いを伝えるためだった。おおたけおさんから電話を替わってもらった僕に対して大森さんは「おはよ」と言ってくれて、僕は「何割かは温情で賞を頂いたような気がしますが」とわざと卑下するようなことを言って気を紛らせてから「僕がいかに大森さんのことを好きかが伝わったら何よりです」と一番言いたかったことを伝えた。僕は「ありがとうございました」と言ってしゅんくんに電話を替わろうとしたところで、大森さんが電話の向こうで泣いているのに気が付いた。僕は戸惑いつつも、その瞬間に大森さんがこの数ヶ月間どういう気持ちをしていたのか、僕のことをどう思ってくれていたのかを悟った。最後に電話を替わったしゅんくんは上手にフォローしてくれていて、どうしたってさんとおおたけおさんはなぜかもう一度電話を替わって大森さんと長々と話していて、とても面白かったし本当に最高のメンバーだと思った。その後みんなで朝食のバイキングを食べに行って、ふとスマホツイッターを見るとDMが来ていたので開くと大森さんからだった。そこには一言「私も大好きだよ」と書いてあった。僕はしばらく呆然としてしまい、返信しようかとも考えたが何も言葉が見つからなかった。

バスツアー2日目は大森さんと話す機会が何度かあったが、今朝起こった出来事の大きさをずっと飲み込めずにいて終始うまく会話することができなかった。昼食後のチェキの時にも何も言えない僕に対して大森さんは「じゃあ送って?送らなくてもいいよ笑」と気を遣ってくれた。結局その日はバスツアーが終わった後もDMを返すことができず、大森さんがコメント欄を開放したブログにコメントを送ることもできなかった。それからこの一週間、仕事の合間を縫ってこの4か月間のことを振り返って、ようやく今このブログを書いている。僕はクソカワPARTYツアーのファイナル以降、僕が大森さんを好きだという気持ちが伝わっていないであろうことが心残りで、ずっと地縛霊のようにこの世をさまよっている気分だった。だからこのバスツアーで僕が大森さんを好きだという気持ちを伝えることができたら、大森さんが「ちょうどいいところでやめられる人がハッピーエンドよ」と歌っていたように、それで終止符を打つことも考えていた。大森さんはブログで「いつか」と書いていたけど、僕は大森さんにそれが何年も先になるような時間軸で生きてほしくなかったから、僕のことはさっさとケリをつけて先に行ってほしいという思いもあった。あとはこのバスツアーに参加しただけで4か月前のことをチャラにできるとは思えなかったし、雨降って地固まるみたいなことにもしたくなかったし、そうしたら4か月前の自分に大森さんの気持ちを試すようなことをさせたことになるような気がするからでもあった。でも大森さんは僕の気持ちを涙を流して受け止めてくれて、さらにそれを大きな愛で返してくれて、僕があれこれ気にしていた体裁なんてどうでもいいよって言って抱きしめてくれた気がした。大森さんがきちんと僕の言葉に傷ついていたことも、それでも僕のことを笑わないでいてくれたことも分かって、そんな大森さんのことをもう裏切ったり傷つけたりしたくないと思ってしまったし、他界なんてできるはずないと思ってしまった。大森さんには僕のことを簡単に許さないでほしいという気持ちもあったけど、それも大森さんが決めることだし、何もかも独りよがりな考えだと気付いた。こうやって振り返ると僕は自分自身の妄想で作り上げた地獄に勝手に迷い込んで苦しみもがいていただけで、その間もずっと大森さんはすぐ近くで待っていてくれていたのだろう。僕が自分の目を自分の手で潰して彷徨っていた暗闇の中でも、大森さんが光となって僕を導いてくれたから、途中で何度も転んだりぶつかったりしてしまっても何とか元の場所に戻ってくることができた。おかげですっかり傷だらけになってしまって、回復するには少し時間がかかるかもしれないし一生消えない傷跡も残るかもしれないけど、この光を信じてついていこうと思えたのはこれまでも大森さんが僕にとっての光だったからだ。人間すぐには変われないから、まだ自分の中に自分のことを許せなかったり自分のことを嫌いだったりするもう一人の自分がいるし、またいつか拗れたり病んだりして大森さんを傷つけてしまう不安もあるけど、ここ数ヶ月かけて考えたのは僕はまず僕のやるべきことをやって人から必要とされる存在になろうということで、そうやって変わろうとする努力はしているから、前よりはもう少しだけうまくやれるはずだと思っている。1週間で書いたこのブログだけでは大森さんに対する気持ちは伝えきれないし、1年、10年、もしかすると一生かかるかもしれないけど、もしかするとこれが一生大森靖子ということなのかもしれない。

f:id:nagai0128:20190421173609j:plain

あれから何歩も進んだけど何歩も戻って、3年間かけてやっと一歩前進した感じだ。でも今の僕はこれまでで一番大森さんのことを好きだと思う。だけど大森さんにはこれからもっと最高を更新してほしいし、この先も僕の光であり続けてほしいから、大森さんがまた美しい音楽を生み出す原動力に少しでもなれるように、これからも応援し続けていきたいと思う。

 

 

 

あーバスツアー行ってよかった!