親愛なる大森靖子さんへ

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3ヶ月に渡るクソカワPARTYツアーお疲れ様でした。今回のツアーでのライブは、僕が今まで見てきた大森さんのバンド形態のライブの中で間違いなく最高到達点だったと思います。ツアーが始まる前にリキッドルームで行われた生誕祭でのライブも昨年の生誕祭に負けず劣らず多幸感に溢れた素晴らしいもので、間もなく始まるクソカワPARTYツアーが俄然楽しみになったのですが、ツアー初日の高松公演で見たライブはそんな期待をも上回り衝撃的ですらありました。ライブ後にたまたま大森さんと会って感想を聞かれた時に開口一番「すごかった」としか言えないほどでした。新曲が多く盛り込まれたことによる新鮮さもあったと思いますが、この前の生誕祭から僅かの間に何があったのだろうと思うくらい見違えるほど進化したライブになっていたからです。ツアーを通じてセットリストは多少曲順の変更や曲の追加があったものの基本的に共通で、あとは大森さんがその日のノリや思いつきでセットリストに無い曲をやることもあり、それに巡り会えるのはツアーを追いかける醍醐味でもありました。共通のセットリストの流れについて少しだけ書くと、序盤は最新アルバムのクソカワPARTYに収録されている新曲(初日の高松公演と2日目の岡山公演のみ“REALITY MAGIC”→“GIRL’S GIRL”、3日目の広島公演からは“GIRL’S GIRL”)から始まり、観客に“進化する豚”の歌詞を歌わせる所謂ピントカバージョンの“Over The Party”、5日目の横浜公演から追加された“TOKYO BLACK HOLE”、大森さんの「クソカワのステージに上がってこい!」の煽りで始まる“ドグマ・マグマ”、大森さんの可愛らしい振付が加わってキュートさが増した“イミテーション・ガール”、大森さんが観客の方へ乗り出してきて一気に会場の一体感が高まる“非国民的ヒーロー”と、大森さんの中でもアッパーな曲を中心にしつつ、おっと思わせる新旧織り交ぜた選曲で冒頭から引き込まれる展開でした。そこから“7:77”、“ラストダンス”、“アメーバの恋”とクソカワPARTYからの新曲が続けて披露され、“7:77”は今回のツアーでお目見えしたゆるナナちゃんもステージに登場して一緒に踊るという視覚的に楽しい演出もありましたが、僕は個人的に特別な思い入れが強過ぎて何回見ても現実味が湧かず、ずっと夢を見ているようでした。“ラストダンス”は今回のツアーで聴いて一気に好きになった曲で、特に終盤で大森さんとギターのあーちゃんがお互い目を合わせずに、それでも呼応しながら交互に訴えかけるように歌う場面は、ヒリヒリとした鋭利な感情が演奏と共に段々と昂ぶっていくのが気持ち良く、今回のツアーの中でもお気に入りのシーンの一つでした。“アメーバの恋”はサビの最後を大森さんが全身を使って歌い上げる様が演歌のようでもあり、今回のツアーで聴き続けてすっかりクセになってしまいました。そうして全く中だるみを感じさせないままライブは後半に入り、“わたしみ”、“パーティードレス”、“マジックミラー”と続きますが、個人的にはここが最もドラマチックで、見る度に大森さんに対する様々な思いが胸に去来しました。それまでの激しいバンド演奏から一転して“わたしみ”はsugarbeansさんのピアノ伴奏のみ、“パーティードレス”は大森さんのギター弾語りだったことも、大森さんの孤独と陰をより一層際立たせて効果的だったと思いますが、特に“パーティードレス”では僕がまだ大森さんを知らなかった頃の、僕が知らないはずの大森さんの影すら感じさせました。大森さんはきっと僕の想像が及ばない経験や思いを繰り返しながら、自分の音楽を武器にここまで闘ってきたのだろうと思うと、大森さんのことをとても愛おしく感じました。そして大森さんがそんな私だからこそ歌うのだと言わんばかりにギターをかき鳴らして歌い始める“マジックミラー”は、再びバンドの演奏が加わってやがて圧巻の総力戦へと雪崩れ込み、大森さんとバンドが一体となって放つ音楽がまるで鏡に乱反射して世界を光で包み込んでしまうように感じるほど壮大なエネルギーに満ちていました。大森さんが自分の音楽を信じて戦って来た結果として今ではこんなにも頼もしい仲間を得ていることや、大森さんが“マジックミラー”に込めた思いが今でも全くブレておらず、ステージの上で前を見て歌う大森さんの眼差しには一点の曇りもないことにも感動して、何度見ても胸が熱くなるのを抑えられませんでした。それから間を置かずに再び大森さんがギターでイントロを弾いて始まる“VOID”は、今回のツアーで初めて披露されたバンドアレンジが実に素晴らしく、こちらも何度聴いても“マジックミラー”とはまた違った胸の高鳴りを止めることができませんでした。大森さんが峯田さんを意識して作っただけあってライブ本編では一番ストレートに会場のボルテージが上がり、横浜公演ではあまりの盛り上がりに大森さんがアドリブでもう一度演奏し始めて、それにピエール中野さんも乗っかってアドリブで高速テンポにしたのが見事にハマり、それがツアーの後半では通常のセットリストに組み込まれたのが、ツアーならではの出来事で面白いと思いました。そして大森さんが毎回MCで大森さんの深い部分から取り出した言葉を投げかけてから歌っていた“流星ヘブン”は、今年初めに亡くなった彼のことを想いながら聴いていました。この曲を聴くと、僕が初めて彼から病気のことを聞いたMUTEKIツアーの仙台公演の帰り道で、僕が「流星ヘブンの“君が他界したあとも 私の命は続く”の歌詞って私信じゃないですか?」とブラックジョークも込めて聞いたら、彼が少し考えてから「大森さんへ伝えたタイミングからするとあり得るけど、どうですかねぇ」といつもの飄々とした感じで答えていたことを思い出すからです。大森さんが彼と撮ったチェキと一緒に今回のツアーを回っていると知った時は素直に嬉しかったし、MUTEKIツアーで果たせなかった彼との全通を今回のツアーで叶えてくれたことに感謝しています。ライブ本編の最後はクソカワPARTYの最重要曲といえる“きもいかわ”と“死神”で、大森さんはこの曲を通して僕を僕自身と向き合わせてくれて、自分が何者なのかを分からせてくれました。“死神”の怒涛のクライマックスで本編は終了し、アンコールの“絶対彼女”では打って変わって観客も巻き込んでコールアンドレスポンスしたりジャンプしたりライザップしたりと、これまでの緊張が一気に解れる和気藹々とした雰囲気で、ラストの“ミッドナイト清純異性交遊”は大森さんも観客もパーティーが終わる寂しさを愛に変えてぶつけ合うように、どの公演でもグチャグチャになって盛り上がっていました。大森さんがその日その場にいる観客を一人残らず肯定してやろうと全員と目を合わせる勢いで全方位を凝視する気迫は、これまでに見たことがないものでした。それはまた大森さんの新たな進化の可能性を感じさせるものでもありました。さらにダブルアンコールで大森さんだけ再びステージに登場して歌う“REALITY MAGIC”は、初日の高松公演と2日目の岡山公演では一曲目だったのを、3日目の広島公演から一気に最後に持って来たことに驚きましたが、ファイナルの東京公演では私。さんとZOCのメンバーでもある藍染カレンさんがダンサーとして登場するサプライズもあり、大森さんの最後まで徹底的にやり尽くして楽しませ尽くそうとする姿勢に改めて感服しました。まだまだ公演毎に印象的だったシーンやMCについても書きたいところですが、今回は他に書きたいことがあるのでこの辺りにしておきます。これから書くこととは関係なく、クソカワPARTYツアーを通じて大森さんの音楽は多くの人を救う力を持っていると改めて思ったし、もっと大森さんの音楽が大森さんの音楽によって救われるべき人達へ届いてほしいと思います。それが今までもこれからも変わらない僕の希望です。

話は少し変わって、ツアーも折り返しに差し掛かろうという6公演目の仙台公演で、大森さんがMCで最近あったとある出来事について話し始め、その内容が解禁前の情報に関するものだったためマネージャーが制止したにも関わらず、大森さんが話すのを止めずに少し騒ついた雰囲気になるということがありました。これまでも大森さんがライブ中に愚痴や不満をこぼしたり少し荒れたりするのは珍しいことではなかったし、僕も十分慣れていたはずでしたが、今回のツアーではそれまで(少なくともステージ上では)大森さんがそういったモードに入ることもなく、むしろ今までで一番安定しているように感じていたので安心していた分、僕は不意を突かれて少しショックを受けてしまいました。以前のブログにも書きましたが、僕が思うファンのあり方は、その人が頑張ろうと思える原動力になれるように応援することで、今回のツアーでもそうありたいと思って僕なりの方法で応援し、少しは力になれているかもしれないという実感もありました。でも仙台公演での大森さんを見て、きっと大森さんのこういうところは一生変わらないし、僕がいくら応援しても大森さんを守ることはできないし助けることもできないから、僕には大森さんを救うことはできないのだという無力感を覚えました。その翌日の盛岡公演で大森さんは何事もなかったかのようにライブをしていましたが、僕は前日の出来事が頭から離れずに大森さんのことを勝手に心配してしまい、その日のライブを心から楽しむことができませんでした。ただ皮肉にもその次の金沢公演は、大森さんにとっては不本意なライブだったかもしれませんが、僕にとっては言葉で表すのが惜しいくらい楽しいライブでした。大森さんは声が万全の状態ではなく、それが大森さんの人としての弱さを感じさせた分、それを懸命に乗り越えようとする姿にとても感動したし、大森さんがMCで目を潤ませながら話していたことも、アンコールのミッドナイトで僕の手を握ってくれた時の大森さんの手の体温も忘れられません。個人的には今回のツアーの中でも特に印象深いライブになり、少しは大森さんを救ってあげることができたのかもしれないとも思いましたが、きっと神様が情けで最後にくれた思い出だったのだろうと思います。今年1月のMUTEKIツアーの名古屋公演の終盤、大森さんは“PINK”の途中で演奏を止めて10分近く心情を吐露していて、その中で大森さんは友達が一人もいないと言っていました。僕も友達と呼べる存在が一人もおらず、その時に大森さんは僕と一緒なのだなと思うとともに、もしかしたら似た者同士の僕は大森さんの友達か、友達でなくてもそれに限りなく近い存在になってあげられるかもしれないと本気で思いました。普通ファンがアーティストを救うとか、アーティストの友達になってあげたいなどと思うのはおこがましいことこの上ないですが、そう思えたのは大森さんだからこそでした。あの時期に僕が色々と頑張ったのは第一には彼のためではあったけど、大森さんのためでもあったし、延いては自分のためでもありました。ただ今思えばそれはやはり僕の傲慢だったし、思い上がりだったと思います。それから大森さんのために尽くそうとしてきて、これまでも一喜一憂を繰り返してきましたが、今回のツアーが進むにつれて日本でこれだけのライブをできるのは大森さんしかいないという確信を深めていく一方で、僕の中の大事にしていた何かが空気を吐き出す風船のように萎んでいくのを感じました。9月のツアー開始前のタイミングで大森さんが新たにアイドルグループZOCを始動し、大森さんの生誕祭でお披露目されました。ところが間もなくしてメンバーのFちゃんが脱退することになり、大森さんはそのことについてブログに書いたり実験室で話したりしていました。世の中には根本的な問題を抱えた関わってはいけない人間が一定数いて、それは遠目から見て明らかな場合と近づいて初めて分かる場合があり、今回はその後者のケースに遭遇してしまったということだと思います。それは様々な力を持った大森さんをもってしてもどうすることもできないし、大森さん以外の誰にもどうすることもできなかっただろうし、残酷かもしれないけどしょうがなかったのだろうと思います。最初は他人事のようにそんなことを考えていましたが、しばらくしてふと気付いたのは、僕もそっち側の人間だということでした。然るべきタイミングに然るべき人から然るべき愛を受けられなかった人間は、その後において、最悪の場合は死ぬまで、真に誰かを愛したり誰かから愛されることができない人生を送ることになります。それは病気や障害のように名前が付いたものではなく、傍目には分からない呪いのようなものです。僕はある時から自分がそういった呪いにかかった人間なのではないかと薄々感じていましたが、これまでそのことを見て見ぬふりをしてきちんと向き合ってきませんでした。それを初めて向き合わせてくれたのが大森さんの音楽でした。大森さんは昨年の半ば頃から、“draw (A) drow”、“わたしみ”、“流星ヘブン”、“死神”、“きもいかわ”といった自分自身と向き合った曲を作るようになりました。それに伴い大森さんはライブでの表現においても今まで以上に自分自身の感情をさらけ出すようになったと感じます。クソカワPARTYツアーでもセットリストの後半にこれらの曲が多く組み込まれており、今の大森さんにとってこれらの曲が重要な位置付けにあることが分かります。ツアーの序盤はライブ全体のあまりのスケールの大きさに圧倒されて気が付いていませんでしたが、ツアーが進むに従って次第に一曲一曲に意識を向けられるようになった時に、大森さんがそういった曲で自分をさらけ出せばさらけ出すほど、僕はそんな大森さんに応えられない自分に気が付きました。今回のツアーで“わたしみ”は、ライブ後半に向けて観客にドレスコードである“自分”を開かせる装置の役割を果たしていたと思っていますが、僕はこれまでも“わたしみ”で自分をさらけ出して歌う大森さんに対してうまく自分さらけ出すことができず、ずっと戸惑いを感じていました。今回のツアーでも相変わらず大森さんへ差し出す“自分”を見つけることができず、歯がゆい思いをしていました。その答えに初めて辿り着かせてくれたのが“きもいかわ”と“死神”でした。その答えとは、僕は自分をうまくさらけ出せないのではなく、さらけ出す自分を見つけられないのでもなく、そもそも僕の中には“自分”が存在しなかったということでした。お互いをさらけ出すということは愛し愛されることと似ていると思います。僕はある一定の時期までに愛し愛される経験をできなかったが故に愛し愛される方法を知らず、大森さんのとてつもなく大きな愛を目の前にすると、どうしていいか分からなくなってしまいます。大森さんが「愛し合おうぜ」と手を差し伸べてくれても、その手を握り返すことができません。それでも何度か手を伸ばそうと試みましたが、どうやっても腕を動かすことができませんでした。神経が麻痺しているというより、神経が既に死んでいるか、そもそも初めから神経なんて通っていなかったのだと思います。そのことに僕は絶望して、かといって満たされているふりはしたくないし、もしそんなことをしてもきっと大森さんには見抜かれてしまうので、ツアーの終盤は大森さんと向き合おうとすることやペンライトを灯すことが怖くなってしまいました。先ほど大森さんと僕は友達がいないという点で一緒だと書きましたが、「家族」や「友達」や「恋人」がいるかどうかということよりも「愛し愛されている」かどうかが大事で、大森さんにはそんな「愛し愛されている」関係がたくさんあるのを今までも今回のツアーでも見てきました。以前大森さんのラジオへの投稿で、大森さんの好きなところは自分と似ているところや共感できるところがたくさんあるところだという内容を送ったことがありますが、今になって大森さんと僕は愛し愛されることができる人間か否かという点で決定的に違うのだと思いました。自分が愛し愛されることができない人間だと分かった今、基本的に他人に興味を抱けないことも、すぐに相手に物足りなさを感じて飽きてしまうことも、自覚があるなしに関わらず人を平気で傷つけてしまうことも、人間関係をうまく築いたり続けたりできないことも、全て合点がいきます。大森さんがFちゃんについて書いたブログを改めて読むと、正に自分のことを言われているように感じます。Fちゃんが大森さんからのホールケーキを受け止めるための器を持っていなかったために、ケーキを抱えきれずに地面にベシャっと落としてしまうのだとしたら、僕はケーキを受け止めることはできるし、これまでクリームやスポンジは美味しく食べていたけれど、最後に食べたイチゴの味だけ感じることができなかったということです。その味覚障害は痛みや目立った不自由がある訳でもなく、今まではちょっとした違和感としてやり過ごしていましたが、今回のツアーを通じて大森さんの音楽に導いてもらったお陰でようやく、ここまで自分に欠けていたものをクリアに捉えることができました。だからこそ僕は大森さんを救うことはできないし、また大森さんも僕を救うことはできないのだという諦めも、これで終わりにしようという覚悟も潔くできます。大森さんのことを無自覚に苦しめたり傷付けたりする前に自分の危うさに気付くことができてよかったと思います。そういう意味では、音楽で僕を自分自身と向き合わせてくれて、自分が何者かを分からせてくれた大森さんは僕を救ってくれたといえます。でもやっぱり“きもいかわ”の“きみはきみというだけで愛されるべきからだなのだから”という歌詞をもっと素直に受け入れられる自分でありたかったし、大森さんが“ぼくはぼくを守るもの”という歌詞を変えて歌っていた“ぼくはきみを守るから”という言葉にもっと自分を委ねられる自分でありたかったです。実は今回のツアーが始まる前から、僕の中には漠然と僕は大森さんと距離を置いた方がいいのではないかという意識が芽生えていました。僕なりに色々と試行錯誤して、しばらく大森さんのライブを離れたところから見るようにした時期もありましたが、今回のツアーでは勇気を振り絞ってなるべく大森さんからも自分がよく見える前の方でライブを見るようにしていました。それは今回のツアーで大森さんのライブパフォーマンスの進化を目の当たりにして、それでもなお大森さんからは人間の感情を究極まで拡張して表現するためには自分自身がもっと人間であることを超越しなければならないとでも言いたげな焦りやもどかしさのようなものを感じて、ツアーの途中で自分の不完全さの正体に気付き始めてからも、今の大森さんなら投げつける右腕で僕の僕を探し出してくれるかもしれないという可能性を見出したからです。もう一つの理由は、もし今日が最後のライブになっても後悔しないようにしたいと思っていたからでもあります。これまで僕が現場に行き続けていたのも同じ理由からでしたが、今回のツアーで不思議とその思いが強かったのは、なんとなく終わりを意識していたからかもしれません。

大森さん現場には恩や借りがある人ばかりで、僕は僕のために何かしてくれた人へはしてくれた以上のものを返すという信念があり、出来るだけお返ししようと間際まで周りも巻き込んでバタバタと騒がしくしてしまいましたが、大森さんをはじめとして返し切れないままになってしまいました。だからせめてその恩や借りをいつまでも忘れないでいようと思います。僕が大森さん現場に行き始めて、まだ実験室に行ったこともなく、大森さんがまだ僕の顔も名前も認知していなかった頃から、僕は大森さんの音楽が好きだったのはもちろん、大森さんの一つ一つの物事に真摯に向き合う姿勢を見て自分も頑張ろうと勇気をもらっていました。僕は2015年の正月に大森さんへ送った年賀状に「僕は僕の仕事を頑張ります」と書きました。それは前年に大森さんがNHKMUSIC JAPANで卒業を間近に控えた道重さんと共演した時に、大森さんが道重さんに対して「私は私の仕事を頑張ります」と言っていたのにちなんだものでした。それから半年近く経って年賀状を出したこともすっかり忘れていた頃、ある日ポストを開けるとポツンと大森さんからの年賀状の返事が届いていました。このために作ったであろう大森さんの写真入りの葉書には、サインと共に「いつもありがとうございます。お互いまだまだがんばりましょー!」というメッセージが添えられていました。まだその頃には大森さんと数えるほどしか話したことがなかった僕にとっては返事がもらえただけでも十分嬉しかったのですが、その言葉が「私も頑張ります!」でも「頑張ってください!」でもなく「お互いまだまだがんばりましょー!」だったことに、私も頑張るからあなたにも頑張ってほしいし、あなたが頑張るために私も頑張りたいという意味が込められているように感じ、ファンを一人の対等な人間として捉えてくれるだけでなく、双方向の関係として考えてくれる懐の深さに感動して、僕はこれまで何度もこの言葉に励まされてきました。この年賀状の返事は今でも僕の部屋の“神棚”に大事に飾ってあります。ふとこのことを思い出したのは、あの頃から大森さんに抱いていた憧れと敬意は僕にとって本物であり尊いものだったので、それは大森さんとの距離に関係なく持ち続けられるものだと思ったからです。音楽なんてどうせ趣味なんだからもっと気楽に考えればいいのにと自分でも思いますが、どうしても僕は100か0でないと許せないみたいです。何かと卒なくこなせる方なのに、こういうところも器用に立ち回れたらもっと人生楽勝だったのだろうと思います。でもこの人生でなかったら大森さんに出会ってすらいなかったと思うので、そう考えると自分の人生はこれでよかったのだと前向きになれます。僕が大森さんの歌手としての才能と人としての優しさと誠実さを尊敬していることに変わりはないし、これまでその気持ちを天邪鬼な僕なりに色々な形で表現してきましたが、最後はきちんと自分の言葉で伝えるのがせめてもの誠意だと思ってこの文章を書きました。伝わっても伝わらなくても、何を思われても何も思われなくても構いません。これがクソカワPARTYツアーで僕が見つけた“自分”です。これは遺書でも辞世の句でもないし、これからも当たり前ではないけれど当たり前のように僕の人生は続いていきます。僕は僕の呪いとうまく折り合いをつけながら、僕のやるべきことをやって僕なりの幸せを見つけていきたいと思います。そして僕はこれからも大森さんの音楽が好きで聴き続けるし、大森さんがMUTEKIツアーの福岡公演の時に言っていたように音楽はゼロ距離なので、この先も音楽で励ましたり支えてくれたりしたら嬉しいです。僕も大森さんの活動を陰ながら応援し続けていきます。今まで僕には勿体ない程の十分過ぎる愛を与えて下さりありがとうございました。

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